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【群馬】

重監房、最後の生き証人 栗生楽泉園 終戦前後に入所・元患者の佐川さん死去

人権の大切さなどを訴える佐川修さん=草津町で(2014年撮影)

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 草津町の国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」で、戦時中を中心に入所者を強制収容した懲罰施設「重監房」。その差別の歴史を伝える最後の生き証人、元患者の佐川修さんが八十六歳で亡くなり、惜しむ声が上がっている。

 佐川さんは一九四五年春に楽泉園へ入所し、同年の秋から約七カ月間、重監房の収容者に麦飯などの粗末な食事を運んだ。

 真冬は氷点下十数度となり、暖房もない過酷な状況。佐川さんは二〇〇八年、本紙の取材に「食事を運んだ間に、極寒で布団が独房の床に凍り付いて二人が亡くなった。一人は狂い死んだような状態だった」と証言した。

 重監房には逃走などの理不尽な理由で延べ九十三人が収容され、二十三人が犠牲になったという。

 佐川さんは楽泉園に約十三年間いて、その後は出身地の東京都にある国立療養所「多磨全生園」に移り、約十年間にわたって入所者自治会長を務めた。

 一四年には、楽泉園で開かれたハンセン病市民学会に出席。シンポジウムで重監房について「収容される際は何の裁判もなく、死ぬのを待つ状態。国による強制隔離政策の象徴だ。日本のアウシュビッツのような差別の歴史を語り継いでほしい」と訴えた。同年に開館した重監房資料館についても協力を惜しまず、式典にも出席した。

 資料館の北原誠主任学芸員は勤務していた全生園と、資料館の開設準備で、佐川さんと交流があった。

 北原さんは「温厚で人望の厚い人だった。開館に当たっては、映像で証言してもらい、助言もいただいた。もっと話を聞きたかった。貴重な方が亡くなり、残念で気が抜けてしまったようだ」と悔やんだ。 (菅原洋)

 

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