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【群馬】

上野国庁か群馬郡衙…の倉庫か 奈良〜平安の建造物基礎が出土

出土した公的な倉庫跡とみられる建造物の基礎(中央部分)=前橋市で(同市教委提供)

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 前橋市教育委員会が発掘調査している同市元総社町の上野(こうずけ)国府跡推定区域で、奈良から平安時代に重量のある特別な建造物を建てるために地固めをした基礎部分が出土していたことが分かった。推定区域で地固めの基礎部分が出たのは、1999年度の発掘開始以来初めて。市教委は公的な倉庫跡と推測し、県庁の知事部局に相当する国府中枢の「国庁」か、県名の由来と伝わる群馬郡衙(ぐんが)(郡役所)のいずれかに関連する遺構の可能性が高いとみている。 (菅原洋)

 上野国は群馬県とほぼ同じ地域にあった。国府は県庁と周辺に当たり、役人の館、農民の家などが集まっていたという。

 中でも国庁は一般的に都から派遣された「国司」ら役人が儀式や政治を執り行った。平安時代の「平将門の乱」で、将門が上野国府の国庁を占拠して国の印と倉の鍵を奪い、国庁で新皇と称したとの伝承が残る。

 群馬郡は榛名山東麓(現在の高崎、前橋市などの一帯)にあったとされ、郡内は馬の産地として知られていた。

 ただ、上野国府の国庁、群馬郡衙とも跡地は分からず、県内古代史の中でも関係者や歴史ファンから発見が熱望されてきた。このため、市教委は区画整理に伴い、国府跡推定区域を継続的に発掘してきた。

 市教委は、国府跡推定区域は元総社町の大部分と想定し、その中で歴史の古い宮鍋神社西側周辺の南北約三百五十メートル、東西約二百メートルを国庁跡推定地とみている。

 当時の庶民の建物にはない特別な建造物の基礎部分はまず、二〇一四年度の発掘で出土。宮鍋神社南側で二カ所を発掘した結果、基礎部分を計約二百五十平方メートル確認した。

 さらに一六年度にも、二カ所のうち一カ所の近くを発掘したところ、基礎部分の一部が出土した。

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 その後、市教委は二回の発掘成果の分析を重ねた結果、重量のある建造物を支える地固めの基礎部分が出たことから、遺構は倉庫で、二、三棟はあったと推測。国庁か、郡衙に関連する建造物の可能性を想定するに至った。

 市教委文化財保護課は「遺構は形状から特別な建造物でも寺院とは考えにくく、国庁か郡衙に関連する倉庫の可能性が高い。国庁の発見に向けて発掘を進めたい」と意欲を見せている。

 市教委の上野国府等調査委員会で委員を務める県内考古学の第一人者、県立歴史博物館の右島和夫館長は今回の発掘現場を視察したことがある。

 右島館長は「出土したのは公的な倉庫跡の可能性が高い。県内では他の郡衙跡一帯から倉庫跡が出ており、倉庫は群馬郡衙との関連が想定できるが、国庁の近くに倉庫があった可能性もある。今後の調査の進展がポイントになる」との見解を示している。

 

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