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【群馬】

ハンセン病療養所の監禁室設置 精神障害が端緒か

大阪府の旧「外島保養院」の院内配置図。中央上部に「監置室」の記載がある(重監房資料館提供)

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 全国各地のハンセン病療養所で、戦前から終戦後にかけて、問題があるとされた患者を収容した「監禁室(所)」。監禁室を設置した端緒は、精神障害を発症したハンセン病患者を隔離する目的があったとみられる実態が、草津町の国立療養所「栗生(くりう)楽泉園」に隣接する重監房資料館の柏木亨介(きょうすけ)学芸員の調査で分かった。六月中旬に宮城県で開かれる日本ハンセン病学会総会・学術大会で発表する。 (菅原洋)

 楽泉園の監禁室は一九三三(昭和八)年に設置され、周囲に高さ約三メートルのコンクリート塀を巡らせた木造平屋の七二・六平方メートル。壁に鉄板を張った三畳の独房が二室あった。四八(同二十三)年ごろに使われなくなり、七七(同五十二)年に取り壊された。

 園内の公文書によると、三七(同十二)年度、監禁室にいずれも精神障害の患者二人をそれぞれ一カ月と三週間閉じ込めた。

 この記録に着目した柏木学芸員が全国のハンセン病療養所を調べた結果、大阪府の旧「外島保養院」が発行した統計年表に、一二(大正元)年の院内配置図が残り、「監置室」との記載があるのを見つけた。香川県の「大島青松園」でも、翌年の統計年報に「監置室」の工事が完成したとの記載があった。

 「監置」という言葉は、当時既にハンセン病患者以外も対象に制定されていた旧精神病者監護法で使われていた用語と判明。監置は医療上の用語で、実態は監禁の意味に近く、精神障害者を閉じ込めたという。

 各園に監禁室が設置されたのはこれまで一六(同五)年に「患者懲戒検束権」が認められたのが端緒というのが定説だった。しかし、旧外島保養院、大島青松園の監置室とも、それより前だ。

 柏木学芸員は「二カ所の監置室という言葉は、旧精神病者監護法を適用したのだろう。監置室が後の監禁室のきっかけになったのではないか」とみている。

 さらに、柏木学芸員は昭和十年代になってからだが、鹿児島県の「星塚敬愛園」で監禁室の平面図の中に「精神病室」があるのも確認した。

 一方、楽泉園には監禁室とほぼ同時期、規則に触れるなどしたという各地を含む患者を収容し、出入りを一段と厳重にした懲罰施設「重監房」も全国の療養所で唯一あった。重監房でも、昭和十年代に精神障害とみられる患者二人を隔離し、うち一人が房内で死亡したとの記録が残る。

 柏木学芸員は「当時は患者に対する厳しい園内への強制隔離と差別の中で、精神障害を患うこともあっただろう。本来なら二つの病に苦しむ患者は看病するべきだが、さらに園の中で閉じ込めるのは現代では人道的に許されない。隔離の中の隔離だ」と指摘する。

 重監房資料館は七月十八日〜八月十九日、全国の監禁室の内部を紹介し、今回の学会発表も踏まえた企画展を予定している。

 

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