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【群馬】

映像で後世へ語り継ぐ 映画「陸軍前橋飛行場」 8月上旬、県内で上映

映画では「前橋飛行場で訓練を受けた特攻隊」の写真も紹介

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 太平洋戦争末期に陸軍が旧群馬町(高崎市)に開設し、特攻隊の訓練基地にもなった飛行場の実像に迫ったドキュメンタリー映画「陸軍前橋飛行場〜私たちの村も戦場だった〜」が完成し、八月に前橋や高崎などで上映されることが決まった。戦争の記憶が風化する中、飛行場を巡る関係者の証言などから戦争の一断面を掘り起こし、映像で後世に語り継ぐ作品として注目されている。 (大沢令)

 原作は、旧群馬町元教育長の鈴木越夫さん(73)の編著書「陸軍前橋(堤ケ岡)飛行場と戦時下に生きた青少年の体験記」。

 パイロットの教育訓練用飛行場として田畑の強制買収で建設され、一九四四年八月の完成からわずか一年でその役割を終えるまでの記録が関係者の証言とともに収録されている。

戦時下の資料について話す鈴木さん(左)と住谷佳禹さん=高崎市で

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 原作を読んだ前橋出身の映画監督飯塚俊男さん(70)が「戦争の記憶を記録に残し、後世に伝えたい」と鈴木さんに相談し、映画化のきっかけとなった。地元の協力も得て昨年十月から撮影を開始。地元関係者ら約四十人のインタビューを重ね、当時の資料も加えて往事の飛行場をよみがえらせる。製作費は約八百万円。上映時間は約六十九分。

 飯塚監督が原作で特に注目したのは、飛行場近くに住んでいた住谷修さんが建設時や空襲の様子を克明につづった「村日記」だ。読みやすく清書した息子の佳禹(よしのぶ)さん(79)によると、修さんは時計とメモ帳、筆記用具を肌身離さず持ち歩き、空襲や警報の時間などを分単位で記録していた。

 修さんは「戦争によって日本がどうなってしまうのか危機感を抱いて書き残した。この記録はいかなる公文書にも勝るとも劣らない」と話していたという。

 鈴木さんによると、飛行場に関する軍の資料は焼却されており、その輪郭を浮かび上がらせるには関係者の証言や記録に頼らざるを得ないという。飯塚監督は日記について「戦時下で公になれば大変なことになる軍部批判も含め、当時のことが克明に書き残されている」と修さんの記録精神を評価。戦時中の記録を求めて米国立公文書館を訪れたり、首相在任時に公文書管理法制定を主導した福田康夫元首相にインタビューしたりして公文書管理のあり方にもスポットを当てる。

 鈴木さんは「戦時下に必死で生きた市井の人々の心の奥に潜んでいる生の声を戦争を知らない若い人に伝えたい」と訴える。

 県内での上映は、前橋シネマハウス(八月四〜十七日)、シネマテークたかさき(同十一〜二十四日)。都内では日比谷図書文化館日比谷コンベンションホールで同三十一日、午後一時四十分からの上映終了後に福田元首相のトークが予定されている。

 上映に先立ち今月三十日から七月五日まで、イオンシネマ高崎(イオンモール高崎三階)入り口で飛行場関係の資料展示がある。

メガホンをとった飯塚監督=高崎市で

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◆飯塚俊男監督に聞く 次世代に記録残したい

 映画のメガホンをとった飯塚監督に話を聞いた。

 −製作を決めたきっかけは。

 前橋空襲のことは少し知っていたが、前橋に飛行場があったことは鈴木さんの本を読んで知った。証言できる人がいるうちに、映画にして残しておく必要があると感じた。

 −映画を通じて訴えたいことは。

 戦争についてたくさんの人がいろんな記憶を持っているが、近くの人に語り継ぐだけでは残らない。戦争の記憶を語ることは第一歩だが、歴史という観点からは記録という形にして次の時代、次の世代に残す視点が大事だ。それを映像という形で表現したい。

 陸軍前橋飛行場 現在の高崎市郊外に急造された陸軍の飛行兵養成の教育訓練用飛行場。1944年8月に完成し、中島飛行機製作所の分工場、終戦間際には特攻隊の訓練基地となった。

 

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