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【群馬】

江戸時代・浅間山噴火の死亡人骨 長野原町で3体出土

出土した1号人骨。青い棒の先が頭蓋骨で、左側にも2本の人骨とみられる骨がある

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 長野原町の八ッ場(やんば)ダム工事に伴って発掘調査している県埋蔵文化財調査事業団は9日、川原湯地区の石川原遺跡で江戸時代の1783(天明3)年に発生した、浅間山の噴火による泥流で死亡した人骨が3体出土したと発表した。天明3年の噴火犠牲者の人骨が出土したのは約30年ぶり。約2メートル積もった水分を含む泥流が偶然「真空パック」に近い良好な状態となり、人骨を保存したとみられる。 (菅原洋)

 遺跡は八ッ場ダムのほぼ中央部にある水没予定地。JR吾妻線の川原湯温泉駅北側の段丘地に位置する。

 発掘した住宅の敷地面積は約五百平方メートル。横約一二・五メートル、縦約六・三メートルの母屋跡があり、六月下旬にその南東側で二体の人骨が出土した。北西へ約百メートルの吾妻川から泥流が押し寄せ、母屋一帯にいた二人が建材に押しつぶされた状態で見つかった。圧死か窒息死したとみられる。

 「1号人骨」と名付けた一体の頭蓋骨は長さ約十二センチ。多くの部分が残り、近くに数個の歯や人とみられる二本の骨もあった。横向きに倒れた状態だった。

 1号人骨から約三メートル東側では「2号人骨」と名付けたもう一体が出土。長さ約十七センチの頭蓋骨は押しつぶされた状態で、そばに下顎の骨もあった。西側へ約一メートルの場所には、2号人骨の下肢骨とされる骨も出た。二体は同じ家系とみられるが、いずれも性別や年齢などは不明だ。

1号人骨の近くで出土した2号人骨の頭蓋骨(青い棒の先)。下方が下顎骨とみられる=いずれも長野原町で

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 四月中旬には、二体から北東へ約二十四メートル離れた場所で数本の骨が出土し、調査の結果、左脚などの人骨と判明し「3号人骨」と名付けた。十六〜二十歳以上で、身長は一五〇センチ台とみられる。3号人骨と他の二体との関係は不明。

 泥流に伴う死者は長野原町で約四百四十人とされ、全体では千五百人以上と推計される。嬬恋村の旧鎌原村一帯では人骨が、一九七九年に三体、八七年に一体が出土している。

 事業団は九日、報道関係者向けに現地を公開。担当した斉藤利昭専門調査役は「八ッ場ダムの工事では、百数十カ所の遺跡を掘ってきたが、犠牲者の人骨は出ず、(この地域の)被災者は無事だったと感じていた。人骨を見たときは、まさかここで、と驚いた。人骨が出てしまったのかという思いだ」と複雑な心境を漏らした。

 

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