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【群馬】

草津「栗生楽泉園」差別の歴史伝える 正門の旧門柱基底部を再現展示

再現展示した旧門柱の基底部を解説する北原主任学芸員=草津町で

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 草津町の国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」で、開園した1932(昭和7)年に当初の正門に設置された旧門柱の基底部が実際にあった場所に再現展示され、19日、除幕式が開かれた。当時の患者たちは園内へ強制隔離され、正門脇には旧門衛所があり、番人たちが出入りを厳しく監視していたという。門柱は古ぼけたコンクリートの塊ではあるが、差別の歴史を伝えている。 (菅原洋)

 門柱は昨年七月、門衛所跡を発掘調査した際、近くの草むらで見つかった。昭和四十年代に門柱を園路の拡幅工事で壊した時、設置してあった四本を廃棄する際に一部が残ったとみられる。現在の正門は西へ約二十メートル移った。

 基底部は基礎部分が約一メートルのほぼ方形で、その上に約六十センチのほぼ方形の門柱が最低部のみ残る。全体の高さは約八十センチ。門柱の中には、最上部に付いていた門灯のために電線を通す直径約二十センチの穴が円柱状に開いている。門柱の解説板も近く設ける予定。

 門柱から南へ約五十メートルの森林内には、戦時中を中心に患者の懲罰施設だった重監房の跡地がある。重監房には、逃走など理不尽な理由で延べ九十三人が収容され、粗末な食事と冬は零下二〇度近くになる極寒の中で二十三人が亡くなったとされる。

 門柱脇の門衛所には番人が常駐し、重監房の看守を兼ねた。門衛所には、重監房の鍵や患者用の手錠もあったと伝わる。

 元患者で、入所者自治会副会長の岸従一(よりいち)さん(78)は黒岩信忠町長らとともに除幕式に出席。岸さんは一九四九(昭和二十四)年、発症した父親に連れられて楽泉園に入所した。

 岸さんは「門柱には木製の頑丈な扉が付き、かんぬきで厳重に鍵をしていた」と強制隔離された当時を振り返り、「この門柱を見てから、重監房の跡地を見学してほしい」と語った。

 楽泉園に隣接する重監房資料館の黒尾和久部長は「門柱は強制隔離の歴史を伝えている。重監房の歴史の一環として、一体的に保存していくことが大事だ」と解説した。

 資料館の北原誠主任学芸員は「開園当初の建造物は園内には少ない。この門柱が重監房へ入れられた患者たちの悲哀を見詰め続けたと想像すると、再現展示は意義深いのではないか」と展示の狙いを説明した。

 

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