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【群馬】

登録有形文化財に2件 富岡高御殿 富岡高御殿黒門

御殿の外観

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 国の文化審議会が二十日に答申した登録有形文化財(建造物)に、県内では富岡市七日市の県立富岡高校御殿(旧七日市藩陣屋正殿)と、同高御殿黒門(旧七日市藩陣屋中門)の二件が選ばれた。近く官報告示を経て登録される見通しで、県内の登録有形文化財(建造物)は百二十九カ所の三百三十七件になる。

 県教育委員会や富岡市教委によると、旧七日市藩は戦国大名として知られる前田利家の五男利孝が幕府から拝領し、廃藩置県まで十二代にわたり、藩主を務めた。城は持てず陣屋を築き、今回、現存する藩邸の一部「御殿」と陣屋の中門だった「黒門」が登録対象となった。富岡高の敷地内にあり、現在も同高のシンボルとして親しまれている。

 「御殿建築は、京都府の二条城にある二の丸御殿の各種建物のほか、数例を残すのみで、部分的とはいえ残存していること自体が貴重。江戸時代の陣屋の様相を伝える」と評価された。

御殿の黒門=いずれも富岡市で(県教委提供)

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 御殿は一八四三(天保十四)年に再建された正殿の一部で、玄関から御座所に至るまでの広間、板の間、書庫などが残っている。木造平屋で長さ約三十六メートル、幅九メートル余、床面積は約三百六十平方メートル。明治から昭和の学校建設に伴って移築されるなどし、玄関の位置も付け替えられた。

 黒門も一八四三年に再建され、移設などを経て現在地に戻された。細部の意匠に御殿と共通する部分が多いという。

 市教委や富岡高によると、御殿は現在も同高定時制の卒業式で使われ、同高東側にある黒門は生徒が登下校時にくぐるという。地元では、本家の加賀藩前田家の赤門(東京大学赤門)に対して黒門と呼ばれた、といわれている。

 富岡高の悴田(かせだ)利行教頭は「生徒への激励で『黒門を出て赤門に入れ』という言葉が伝統として今も残る。学校のシンボルであり、誇り」と話した。 (石井宏昌)

東大のシンボルの赤門

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