東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 群馬 > 記事一覧 > 8月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【群馬】

栗生楽泉園に隣接の重監房資料館 監禁室テーマに企画展

監禁室の関連史料を見学する来館者ら

写真

 全国各地のハンセン病療養所で戦前から終戦後にかけて内部規則に触れるなどした患者を収容した「監禁室(所)」の中をテーマにした企画展「隔離のなかの隔離」が、草津町の栗生(くりう)楽泉園に隣接する重監房資料館で開かれている。園内へ強制隔離された患者たちが、さらに理不尽な理由で園内での自由すら奪われるという、厳しい差別と人権侵害の歴史を伝えている。 (菅原洋)

 「親の死に目に会いたくて帰省を願ったが、どうしても許されずに逃走してから園に戻った者、松の木を一本切って職員に見つかった者などが入れられた」

 岡山県瀬戸内市の国立療養所「邑久(おく)光明園」。入園者の自治会誌が、現代社会では信じられないような理由で、患者たちを監禁室へ閉じ込めた歴史を語り継ぐ。

 光明園の監禁室は一九三九(昭和十四)年に設置され、五三(同二十八)年に廃止。建物は残り、全国で全体が現存するのは光明園を含め二カ所だけだ。木造平屋で、四畳半の雑居房、三畳の独房が各二室ある。

 会場には、光明園の監禁室平面図(複写)などの関連史料や、各監禁室を解説するパネルの計二十点を展示している。

 関連史料では、鹿児島県鹿屋市の国立療養所「星塚敬愛園」の懲戒者書留簿(同)が目を引き、焼酎の密造や失踪などの監禁理由を列記している。

 監禁室は楽泉園にもあり、三三(同八)年に設置された。周囲に高さ約三メートルのコンクリート塀を巡らせ、七七(同五十二)年に取り壊された。会場には、園内で六月に見つかった監禁室の平面図(当時の写し)も並べ、壁に鉄板を張ったという三畳の独房が六室あったと判明した。

 重監房資料館の柏木亨介(きょうすけ)学芸員は「邑久光明園など現存する監禁室に入ってみたが、圧迫感を感じた。監禁室の内部を知り、室内へ入った患者たちの思いを感覚的に体験してほしい」と来館を呼び掛けている。

 企画展は十九日まで。入館無料で、月曜休館。

来館3万人目となった男性(右)や女性(中)とくす玉を割る岸副会長(重監房資料館提供)=いずれも草津町で

写真

◆高崎の男性が3万人目の来館者

 重監房資料館の来館者が、2014年4月の開館以来で3万人を超え、3万人目の来館者と元患者がくす玉を割り、資料館から関連書籍などの記念品が贈られた。

 栗生楽泉園には監禁室とほぼ同時期、他の療養所を含め法令に触れたなどと判断された患者を収容し、設備を一段と厳重にした懲罰施設「重監房」も全国の療養所で唯一あった。重監房は実際には、逃走など不条理な理由で延べ93人が収容され、23人が死亡したとされる。

 3万人目の来館者は7月29日に友人の女性と訪れた高崎市の男性(36)で、男性は「人権を無視した隔離の悲惨さを学んだ」と語った。入所者自治会の岸従一(よりいち)副会長(78)は「3万人もの人に見学してもらえたことに感謝し、今は亡き元患者たちも喜んでいると思う」と感慨を深めた。 (菅原洋)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報