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【群馬】

「後閑3号墳」「下増田上田中1号墳」 安中の2古墳 県史跡に答申

1992年度に発掘調査された際の後閑3号墳=安中市で(同市教委提供)

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 県文化財保護審議会は2日、安中市にある古墳「後閑3号墳」(下後閑)と「下増田上田中1号墳」(松井田町)の2件を県史跡に指定するよう県教育委員会に答申した。2基は国の文化審議会が国史跡指定を答申した「簗瀬二子塚古墳」(安中市簗瀬)に近く、関東で最も古い時期に横穴式石室を取り入れるなど共通点が多い。簗瀬二子塚古墳に葬られた首長を支えた人物の古墳とみられ「新たな埋葬形式の導入の様子を知ることができる重要な古墳」と評価された。 (石井宏昌)

 県教委によると、後閑3号墳と下増田上田中1号墳はともに六世紀初頭に築かれた直径約二十メートルの円墳。いずれも中心部は横穴式石室で、遺体を安置する玄室は簗瀬二子塚古墳より小さく、羨道(せんどう)(通路)部分と合わせ、他にあまり例がない「T字形」になっている。自然石(川原石)を積み上げて築かれ、後閑3号墳には壁面に赤色塗料が塗られていた。

 五世紀末〜六世紀初頭に築造された大型前方後円墳の簗瀬二子塚古墳とは二〜四キロ余の距離にあり、石室の構築技術や石室内から出土した副葬品に共通性があった。

 これらの古墳以後、関東など東日本で、それまでの竪穴式石室に代わり、より高度な技術が必要な横穴式石室が導入されるようになったという。

珍しい「T字形」の石室跡(1996年撮影)=安中市で(同市教委提供)

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 県文化財保護審議会は「三基はいち早く横穴式石室を採用した集団の支配層の古墳で、同じ石室造りの技術者集団が関わったとみられる。当時の中心地だった近畿地方と関東との交流のようすを示し、歴史的意義がある」と評価した。さらに「三基がある碓氷川左岸地域は近畿地方から上毛野地域(現在の群馬県)、さらに関東地方へ至る内陸路(後の東山道)の玄関口にあり、これ以降の上毛野の要の地域になっていくことを良く伝える」と意義を強調した。

 指定されると、古墳の県指定としては二十一年ぶり、史跡では十五年ぶりで、県史跡は八十七件、県指定文化財は計四百三十一件になる。

 

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