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【群馬】

<つなぐ 戦後73年>「黒焦げの遺体 戦争もう嫌」 前橋空襲の犠牲者を慰霊

前橋空襲の追悼碑に献花して祈りをささげる参列者たち=前橋市で

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 前橋空襲から七十三年を迎えた五日、多くの犠牲者が出た場所にある前橋市住吉町の比刀根(ひとね)橋記念公園で、長年続いてきた同町二丁目自治会主催の慰霊行事が営まれた。参列者の中には空襲を体験し、犠牲者たちの遺体を目の当たりにした女性もおり、鎮魂の思いを募らせた。 (菅原洋)

 「トタン板の上に、真っ黒焦げの遺体を二、三人乗せ、数人の男性が支えて運ぶのを目撃した。まるで苦しんだり、逃げ回ったりしているかのように、手や足は曲がって固まったまま。何度も思い出す」

 空襲当時も今も公園の近くに住む若林昌子さん(86)は、十代半ばで脳裏に焼き付いた記憶をはっきりとした口調で証言した。

 同町一帯は、近くに商店街があるためか、空襲の標的となった。公園には戦時中に防空壕(ごう)があり、炎に包まれた内部や周辺で多くの犠牲者が出た。

 若林さんは空襲をラジオで知り、家族とすぐに逃げて全員無事だったが、自宅は全焼。自宅の跡地へ戻ると、周辺に遺体が散乱し、近くの遺体置き場へ運ぶ作業をしていた。

 「終戦後は苦しい生活だった。戦争はもう、嫌だ。二度と繰り返してほしくない。海外の紛争に心を痛めているが、日本はこの平和のままがいい」。若林さんは強く願った。

 市によると、市内で約七百二十四トンの爆弾が投下され、市街地の約八割が焦土と化し、五百三十五人の命が奪われたという。

 慰霊行事には、地元住民や子どもたち計約五十人が参列。防空壕に避難した住民の中で生き残った原田恒弘さん(80)が「地域住民と行政が、空襲を次世代へどうつなげるかを模索しなければならない」と参列者に語り掛けた。

 続いて、町内の小学六年生七人が平和宣言を読み上げ、最後に参列者たちが千羽鶴が添えられた追悼碑に献花し、祈りをささげた。

 この日は市内の各宗教施設などでも慰霊行事が営まれた。

 

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