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【茨城】

<きたかん遺産>日立・塙山キャバレー 昭和の面影、憩いの場

常連客でにぎわう塙山キャバレーの「とまり木」=日立市で

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 JR常磐線の常陸多賀駅から歩くこと三十分、日立市の国道6号沿いに、その不思議な一角は突如、現れる。交差点に面した三角地に、トタンづくりの小作りな飲み屋が立ち並ぶ。塙山(はなやま)キャバレー(通称・塙キャバ)だ。昭和にタイムスリップしたかのようなたたずまい。どこからともなくカラオケの歌声が漏れてくる。

 塙キャバの起源は五十五年ほど前にさかのぼる。「昔は塙山チャバレーって呼ばれてたのよ」。塙キャバひと筋四十一年、現役最長の「京子」ママ、沼辺京子さん(76)が教えてくれた。

 本当にキャバレーだったわけではない。冗談で付けられた愛称。時の流れに「本家」が姿を消していく中、「チャバレー」の愛称は、いつしか「キャバレー」に変わっていったという。

 「昔は気合を入れるため三百六十五日、着物を着て接客した」と京子ママ。人生の半分以上を塙キャバにささげ、うれしいことも悲しいこともたくさんあった。「今が幸せ。できる限り店を続けたい」と願う。

 塙キャバの十六軒でつくる「塙山露店飲食店山道会」を束ねるのが現会長「とまり木」ママの打越サチ子さん(75)だ。昔は酔客同士のけんかで「パトカーが来ない日はなかった」と明かす。そんな荒くれた日々も今は昔。年配の客や女性客らが和やかに酒を酌み交わす。

 常陸太田市から手料理を手土産に、かれこれ十八年、とまり木に通い詰めている「よしえちゃん」は「子どもに運転させて夫婦で飲みに来たこともある」と笑う。どうして塙キャバに? 「ここに来れば仲間たちに会えるからね」。周りの客たちもうなずく。

 「うちの客は三十二年間もめ事を起こしていないよ」と胸を張るのは「いづみ」ママの土橋蓉子さん(71)。かつては日立製作所国分工場の従業員が通ってきたという。

 店では月一回、赤字覚悟で出血大サービスを敢行している。定員は十三人だが、十五年ほど前には「三十人くらい入れてたっけ?」と懐かしむ。

     ◇

 塙キャバの真ん中に、ぽっかり空いた更地がある。二〇一四年一月に火災が発生し、六軒が全半焼した。そのうちの一軒「みき」は、塙キャバのほかの空き店舗に移転、常連客が改装を手伝い、月内に営業を再開した。

 みきママの渡部静子さん(66)は「火事の時はやめようと思った。でも年金では食べていけないし、何よりお客さんが助けてくれたから」。温かな人情を支えに今日もカウンターに立つ。

 「ふじ」ママこと佐々木美代子さん(65)は火事の第一発見者だ。早期の通報で延焼を食い止めたが、自身の店も屋根が壊れ、空き店舗に引っ越した。六軒が立っていた跡地は映画などのロケに使われ、黒木メイサさんらが訪れた時の様子を、魅惑的なハスキーボイスで語って聞かせてくれた。でも「塙キャバの風景が変わってしまって寂しい」。ふと表情が陰る。

 「体調が悪くても店に来るとシャンとするのよね。お客さんが薬」と、常連客には聞こえないようにふじママが笑う。休日に客と連れ立って遊びに行くこともあるという。「みんな身内みたい。ここを離れることは考えられない」

 駅から離れ、決して交通の便が良いとは言えない塙キャバ。なぜここに一大飲み屋街が形成されたのか、ママたちの記憶をたどっても結局、分からずじまい。そんな謎をよそに、こよいもトタンづくりの店に柔らかな灯(あか)りがともり、客たちがのれんをくぐる。ひとときの安らぎを求めて…。

◆ここがスゴイ! 

 塙キャバは常連客が多く、何となくのれんをくぐるには勇気がいる。でも一歩足を踏み入れると、ずっと前からの知り合いだったかのように、快く輪の中に迎え入れてくれる。値段の設定も懐に優しく、居心地の良さに、ついつい長っ尻になりそう。ぎりぎり食べていけるだけの利益しか出ていないんだとか。自宅から少し遠いのが残念だけど、今度は仕事を忘れて思う存分、酔いに行こう。 (越田普之)

 

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