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【茨城】

<ひと物語>「個人技 押し切れた」 ブレークダンスチーム戦で世界3連覇・NORIさん(31)

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 ヒップホップのリズムに乗せ、即興で離れ業を繰り出すブレークダンス。ダンサーとして国内屈指の実力を誇る。十月にドイツで開かれたチーム戦の世界大会「バトル・オブ・ザ・イヤー」で、「THE FLOORRIORZ(ザ・フローリアーズ)」の一員として出場し、三連覇に貢献。「個人技で押し切れた」と快挙を振り返る。

 中学三年の時、テレビを通じてブレークダンスと出会った。バラエティー番組で、お笑いタレントの岡村隆史さんとゴリさんが繰り広げていたダンスバトルに衝撃を受けた。普段、視聴者に笑いを届ける二人が、真剣にダンスに取り組む姿は「本当に格好良かった」。

 それから、ブレークダンスの動きをまねてみるようになった。高校ではダンス同好会に所属。指導者がいなかったため、映像を繰り返し見て、必要な動きを体に染み込ませた。「今では独学で良かったと思っている。たくさん失敗してきた経験が、教える時に役立っているから」と笑う。

 大学進学と同時に上京。JR武蔵溝ノ口駅(川崎市)前の通路が、ブレークダンス上級者の練習場所になっていると知った。深夜に通っては競い合うように腕を磨いた。

 大学一年の時から「卒業後はダンスだけで生活していく」と心に決めていた。しかし卒業後、個人の日本一を決める大会で、現在のチームメートで、第一人者として名高かったTAISUKEさんに屈した。

 「二位まで来たからいいか」と一定の満足感はあった。父親の体調がすぐれなかったこともあって、故郷の小美玉市へ戻ることに。市役所の採用試験に合格し、四季文化館「みの〜れ」に配属されると、イベントの企画担当として働いた。

 それでもダンスとの両立は諦めず、仕事後に練習を続けた。そんな中、激務もたたり練習中に右肩を脱臼。「今をもっと大事にしないといけない」と思い直し、退職を決断。再び上京した。反対していた父親も「どうにかしてダンスだけで食べていけるようになれ」と送り出してくれたという。

 ダンスを始めたのが遅かった分、「あっちが二時間なら、こっちは濃い内容で七時間」と、猛練習を積み重ねた。身体能力を補うため、頭を使って表現の幅を広げた。「すごい技ができなくても、勝てるのが面白いところ」と話す。

 努力が実り、国内外の個人戦で結果を残し、二〇一三年にTAISUKEさんを初めて破り、アジア一にも輝いた。一六年には個人戦で世界八強。チームで世界を三連覇した今、個人での世界一に野心を燃やす。

 裾野の拡大と、後進の育成にも心血を注ぐ。仲間とつくった会社で、レッスンを開いたり、ワークショップを企画したりしている。「ダンスに本気で向き合ってきたから、人間形成されたと思っている。技術的な指導だけでなく、内面の成長を促してあげたい」。真っすぐな目線に、情熱の炎が宿った。 (越田普之)

<のり> 本名・菊地教稔。1986年9月、玉里村(現小美玉市)生まれ。常総学院高から明治大農学部へ進んだ。2011年から1年間、小美玉市の四季文化館「みの〜れ」に勤務。退職後はブレークダンス一本で活動し、現在は仲間と立ち上げた会社「IAM」の企画運営責任者を務め、小美玉市でのダンスイベントなどに協力することも。川崎市在住。

 

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