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【茨城】

<ひと物語>書画の輝き次世代に 偕楽園好文亭の襖絵を修復する表具師・寺門泰三さん(59)

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 水戸・偕楽園好文亭の襖(ふすま)絵の修復を手掛けている。「皆さんがよく知る絵なので、責任の重さで身が引き締まります。想像以上に傷んでいて、なま易しいものではありません」。仕事の難しさが言葉を通じてにじみ出るが、顔を上げた瞬間、柔和な表情に戻った。

 創建時(一八四二年)の襖絵は、一九四五年の水戸空襲で焼失。現在の襖絵は五五〜五八年の好文亭の復元に伴い、東京芸術大の日本画教官の須田〓中(きょうちゅう)、田中青坪(せいひょう)が制作した。完成から五十年以上経過し、顔料のはげ落ちなどがみられ、全九十六面を修復することになり、依頼が来た。これまでも歴史的作品の仕事も引き受けており、今回も「驚きはしなかった。ただ、大変だなとは思いました」。

 襖から絵を外し、顔料が剥がれるのを防ぐためニカワの水溶液を筆で少しずつ塗る。われていたり、粉状になっていたり、絵の具は状態もまちまちで、それぞれに適したニカワを使う。裏打ちの和紙の交換、新たな下張りなど大きく十一ある工程。桜やツツジなどが描かれた最初の十二面は、約三カ月かかった。

 芸術的な作品を観賞しても、職業柄、ついつい傷みに目がいくのではないか。「純粋に絵画を楽しむことはできます。今回はそれより『何とかしないと』という思いが強いですね」

 この世界に入ったのは二十歳のころ。父は画家で、自身も画家に憧れていた。入りたかった美大に入れず、傷心の京都旅行の最中に伝統産業ふれあい館で、きれいな掛け軸に出合ったのがきっかけだった。

 「そこにあった電話番号に電話をしたら、『紹介者が必要だ』と一度断られました。泊まっていた旅館に、出入りの表具屋を紹介してもらったのが、実は最初に電話したお店でした。縁ですね」。はけの持ち方から始め、十年の修業後、地元に帰って独立した。

 「優秀な弟子でなかったので、よく怒られました。手も遅かったし。京都はすごい連中ぞろいで、その中で仕事をとってくる自信がなかったですね」

 この仕事の醍醐味(だいごみ)はどこか。「日本画を掛け軸にしたり、額装にしたり、文書類だと修理してそれを巻物にする。裸の作品を飾っていく、着物を着せる作業と似ています。飾りの取り合わせで作品はよく見せられるし、台なしにもなる。修復は傷んでいた部分を直して、次の世代につないでいけることですね」

 将来、修復する時に、また表具師が仕事を見る。その時に恥ずかしくない仕事を、の思いも強い。「修復の仕方で寿命は変わるか」の問いに「だいぶ変わると思います」。自信に満ちた言葉が返ってきた。 (鈴木学)

<てらかど・たいぞう> 1958年11月19日生まれ、水戸市出身。京都の表具店「岡崎清光堂」で修業した後、水戸で「泰清堂」を開業した。修復を手掛けた作品は、県立歴史館所蔵の林十江「木の葉天狗図」、東京・増上寺の狩野一信「五百羅漢図」など多数。

※〓は王へんに共

 

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