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【茨城】

水害避難から「お帰り」 常総市が帰還者の歓迎会

記念撮影をする被災者や支援団体関係者ら=常総市で

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 一昨年九月の関東・東北水害で避難生活をした後、常総市に戻ってきた市民を歓迎する会が十六日、市石下総合福祉センターで開かれた。先月末に公的住宅の無償提供が終わったのを機に、市が主催した。招かれた被災者からは「ボランティアなどの支援がありがたかった」「おかげで以前の生活に戻りつつある」などの声が聞かれた。 (宮本隆康)

 市によると、自宅の建て替えや修理のめどが立たない被災者らが、市内外の公営住宅などで避難生活をした。水害直後は百六世帯、二百八十五人が入居。全員が無償入居の期限の先月末までに、修繕した自宅や民間の賃貸住宅などに転居した。常総市に戻ったのは、七割以上の七十八世帯、二百十六人だった。

 歓迎する会には、このうち十世帯、十二人が出席。被災者を支援したボランティアや、社会福祉協議会のメンバーらも参加し、計約三十人が食事などを楽しんだ。

 被災者代表として、あいさつした主婦松崎広子さん(77)は「みんなヘリやボートで避難し、命からがら逃げたりしたが、この場に元気で来ることができた。私も自宅が床上一・八メートル浸水したが、夫と息子と新しい自宅に住み始めた。元の生活に戻れるように頑張りましょう」と呼び掛けた。

 つくば市内の国家公務員住宅に避難し、今年八月に常総市三坂新田町の自宅を建て直した介護ヘルパー、滝本幸子さん(70)は「避難中の二年間は正月がない状態だったが、市から餅を配ってもらったのが、ありがたかった」と当時を振り返りながら感謝していた。

◆「思い出だけは残せた」自宅建て直した小倉さん

 「最初は、もう常総市から出て、川がない場所に住もうと考えた」。つくば市内での避難生活から、常総市水海道天満町に戻った主婦、小倉初江さん(64)は振り返る。

 自宅は胸の高さまで浸水し、畳や床は泥だらけになった。一階にあった家財も全部使えなくなった。いったんは避難所から自宅に戻り、二階で半年ほど暮らした。ガスこんろも給湯器もない状態だったため、昨年四月、つくば市内の県営住宅に入居した。

 今でも台風が来ると、翌日になっても川の水位などが気になるなど、「トラウマ(心的外傷)がある」と話す。一時は、つくば市内で川から離れている住宅を探した。

 しかし、「常総市の自宅は両親が一生懸命探してくれて、子どもたちも学校へ通った場所だから」と考え直した。昨年十二月に自宅を建て直し、夫と二人で戻った。約五十センチの盛り土で自宅を高くして、以前は一階だったリビングを二階に配置した。

 長女と長男の身長を毎年測り、印として傷を付けていた柱だけは、解体した自宅から取り出した。今は新たな住居のクローゼットにしまってある。「戻ってこられ、思い出だけは残って良かった」と語った。

 

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