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【茨城】

「水戸城」大手門の発掘調査 「瓦塀」南側からも出土

発見された南側の瓦塀=水戸市で

写真

 水戸徳川家の居城「水戸城」の大手門を復元するための発掘調査で、瓦を積み重ねた「瓦塀」が、門があった場所の南側からも出土し、門の詳細が判明した。市は調査を終えて二月から本格的な工事に入り、来秋の茨城国体までに大手門を整備する。瓦塀は二〇一五年に門の北側から見つかっていたが、南側からも出土したことで、関係者は「忠実に復元できる」と喜んでいる。 (山下葉月)

 水戸城は、鎌倉時代初期の館が始まりとされ、江戸時代の一六〇九年に徳川頼房が初代水戸藩主になって以降、水戸徳川家の居城として使われた。現在の県立水戸一高から県三の丸庁舎にかけて、本丸や二の丸、三の丸などがあった。一九四五年の空襲で大部分が焼失した。

 二〇〇八年、解体された大手門の一部が坂東市で発見されたことがきっかけとなり、地元では門の復元への機運が高まった。水戸市教育委員会は調査を進め、一五年に門の北側から瓦塀が出土すると、明治期に撮影された古写真と照合し、門の南側にも瓦塀があると見立てていた。

 市教委によると、今回発掘された瓦塀は、高さ約五メートル、幅二・五メートルだったとみられ、国内最大級。門と土塁の隙間を埋めるように設置されていた。木や石ではなく、装飾された瓦が使われたことについて、担当者は「水戸徳川家の権力を示すためではないか」と推測する。瓦塀の下からは石組みの水路や、しゃちほこの形をした瓦も見つかった。

 十五日には現地で関係者向けの説明会があり、高橋靖水戸市長ら三十人が参加した。担当者から瓦塀の特徴や建設時期などの説明を受け、発掘場所を興味深そうに見学していた。

 旧水戸城大手門等復元整備促進実行委員会の大関茂会長(73)は「発掘により、門を忠実に復元できる。門は水戸城のシンボルだったが、今度は水戸市のシンボルになるはずだ」と喜んだ。

 市は、発掘した瓦塀を覆い、木造二階建てで高さ約十三メートル、幅十七メートル、奥行き五メートルの大手門を整備する。「江戸時代の遺構を見る最後の機会」として十六、十七の両日午後一時半から、現地で一般向け見学会を開く。

 

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