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【茨城】

<ひと物語 幕末〜明治>日本の金融界の発展に貢献 川崎八右衛門(中)

川崎八右衛門の浄財を得て改築された海士部神社=茨城町で

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 「海老沢地内には海士部(あまべ)神社や駒形神社など三つのお社がありますが、どの神社にも川崎家は寄付をしてます。とくに海士部神社の銅板屋根を修復したときには、多額の寄付をされるなど地元を大切にし、貢献してますね」

 茨城町で『水戸屋菓子店』を営む小山正浩さんはこのように言い、川崎八右衛門に感謝と誇りを持ち、彼の功績を讃(たた)えます。小山さんは海士部神社の氏子であり、祭礼のときにはお餅や農・海産物などの供物の調達を引き受けている地元の製菓店です。

 川崎は地元思いの人でした。これも成功の秘訣(ひけつ)だったかもしれません。

 涸沼のほとりにあった川崎家は北海道や東北から海路で運ばれた物資を、今度は陸路や水路で江戸に運搬する回船問屋でした。このため十代の青年時代から早くも金銭、利益、経営などに対する感覚を身につけ、起業家としての能力をやしなってゆきます。

 これが後に彼を三井、住友、三菱などと並ぶ、わが国屈指の八大財閥のひとつに数えられる「川崎財閥」をつくりあげるまでに成長させるのでした。

 けれど、川崎の私生活は質素でした。ともすると蓄財に励むような人は吝嗇(りんしょく)と思われがちですが、彼は、人には温厚で、華美な服装は求めず、食事もけっしてぜいたくではなく、質素倹約の人でした。その反面ビジネスには厳しく合理的であったといいます。

 この点を分家にあたる川崎正則さんにただしたところ、「墓地の近くに立っている招魂碑に書かれた通りの人でしたよ」と教えられたので早速参ったところ、このように刻まれており、なるほどと納得しました。

川崎八右衛門(常陽芸文から)

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 「−川崎八右衛門の資性は俊邁(しゅんまい)、人には温厚、事に臨んではよく決断、独力経営。産業を殖(ふ)やし−」

 川崎財閥が所有する不動産の管理会社である川崎定徳株式会社(東京都中央区)は、先述した海士部神社の屋根改修のほか老朽化した拝殿、本殿の改修工事、参道の舗装化、境内をつつむ広大な山林を寄贈するなど、いまも故郷とのつながりを大切にしています。

 (ノンフィクションライター・岡村青)

<参考文献> 「日に新なり 加倉井砂山物語」(堀口真一、崙書房出版)

 「川崎財閥を築いた川崎八右衛門」(常陽芸文1994年10月号)

 

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