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【茨城】

<ひと物語>1人で街頭放送守る 「水戸公衆放送」社長、アナウンサー40年・小松崎節子さん(70)

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 「うまい酒です、清酒『一品』」「メガネは技術が命。『メガネのクロサワ』へどうぞ」

 水戸市のメインストリート国道50号沿い。水戸駅北口から繁華街の大工町まで約二キロの区間に設置された約五十のスピーカーから、明るくハリのある声が聞こえてくる。

 今や本州で唯一とも言われる街頭放送「水戸公衆放送」で約四十年間、アナウンサーとして声を張り続けてきた。十五年前からは、社長も務めている。

 放送は午前九時から午後六時まで、地元企業の宣伝に加え県警からのお知らせもある。「初代社長はやり手の無線技士で、スピーカーは自作。私も作るのを手伝った」と懐かしむ。

 東京で学生結婚した前夫と別れ、地元の茨城に戻ったのが三十歳。子ども二人を連れ、前夫が作った借金も背負っていた。

 得意の英語力を生かせる仕事が希望だったが、意中の会社より一日早く、水戸公衆放送から採用通知が来た。「コマーシャルを読み上げるなんて本当は嫌だった」が、えり好みしていられなかった。二十代の時、二年ほど働いていた縁もあって入社を決めた。

 中学時代、国語の朗読で泣きだしてしまうほどシャイだった性格は一変、アナウンサーになってからは創業者の社長にも気後れせず意見もした。「衝突はしょっちゅうだった」と笑う。

 創業七十周年の会社は、多い時で八人の社員がいたが、今は自分一人。五十五歳、六十歳、六十五歳…節目の年ごとに会社を畳もうと思ったが、その都度、決断を思いとどまらせる事情が生じた。

 東日本大震災は、外出先で大きな揺れに襲われた。水戸駅北口の事務所に戻ると、大型機材が軒並み床に落ちていた。「その場にいたら死んでいたか、大けがしていたかもしれない」と振り返る。

 「やめようか」の思いがまたよぎったが、初代社長お手製のスピーカーは無事だった。震災の二日後に業務を再開すると、商業放送は一時ストップし、ひしゃげたマイクに向かい、警察や行政に取材して得た情報を吹き込んだ。「市民が風評に惑わされないように」。その思いが体を突き動かした。

 あれから七年。再婚した最愛の夫は二カ月ほど前に亡くなった。「これからどう生きていこうか」と思うくらいつらいが、今日も足は事務所に向く。なぜなら「ここは私にとってサロンのような場所だから」。

 貴重な街頭放送を残すため、次の世代へ事業を譲りたい思いもある。「金もうけでなく、本当に水戸のためを思ってくれる人に任せたい」とバトンタッチの日まで、もう少し頑張るつもりだ。 (越田普之)

<こまつざき・せつこ> 1948年2月、大洗町出身。県立水戸三高を経て青山学院大に進学。水戸公衆放送で働きながら都内へ10年通い、「サザエさん」のサザエ役などで知られる女優・声優の加藤みどりさんからレッスンを受けたことも。結婚式の司会は1000回に上り、水戸市の夏の風物詩「水戸黄門まつり花火大会」の司会も長く務める。

 

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