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【茨城】

<ひと物語>心癒やす音出したい 梵鐘づくり四半世 紀県伝統工芸士37代目・小田部庄右衛門さん

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 「ゴーン」。重厚感のある音が、余韻を伴って体に響く。

 「先祖のことだったり、自分の悩みを思い、自然と手を合わせるような音色の鐘をつくっていきたい」。音に聞き入りながら、柔和な顔で思いを明かす。

 寺院などに納める梵鐘(ぼんしょう)づくりを本業にする会社は全国で七、八社。関東では、小田部鋳造(桜川市)が唯一だ。

 特徴の一つが、新しい十円玉のような磨き上げられた鋳肌の色。「この色で納品しているのは、うちだけだと思います」。時間の経過とともにピンク、紫と色が変わり、梵鐘独特の緑青色になっていく。鐘の下部の「草の間」と呼ばれる部分に、天皇家から許しを得て菊の紋章を入れられるのも、梵鐘では同社だけの特徴という。

 小田部家は約八百年前の鎌倉時代初期、鋳物発祥の河内国(現在の大阪府)から移り住んだ。鋳造に欠かせない良質の砂と粘土が付近にあり、真壁に居を定めたらしい。

 きょうだいで男は一人。小学生のころから手伝ってきた家業に、二十二歳から本格的に取り組んだ。以来四半世紀、二〇一七年度に県が新設した伝統工芸士のに選ばれた。

 「力仕事で機械を採り入れたけれど、砂と粘土を混ぜて型をつくるなど、工程は昔からほとんど変わらない。伝統工芸士の名に恥じぬよう技術を高めながら、伝統を守っていきたい」

 特に思い入れのある鐘がある。新潟県山古志村(現長岡市)のために造った鐘である。

 新潟県中越地震が起きた二〇〇四年の大みそか、大きな被害を受けた村では、被災者らが贈られたドラム缶の鐘をついて新年を迎えたことを知り、「本物の鐘で心を癒やしてほしい」と製作を申し出た。鐘を納めたのは、地震から丸三年の〇七年十月二十三日。力いっぱいにつく人、優しく音を鳴らす人、それぞれに復興や鎮魂の思いがあふれていた。

 「音を鳴らしてこその梵鐘」であり、自身が造った鐘では、土浦市の海蔵寺、水戸市の長福寺などが鐘をつかせてもらいやすいそうだ。

 大事な音色は銅とスズの配合や厚みで変わる。ただ「鋳物は魔物」と言われ、溶けた金属を流し込むタイミングを誤り、駄目にしたこともある。探求心がないといい鐘はできない。だから、「いい音色だね」と言われるとうれしい。この道は間違いではなかったと思うという。 (鈴木学)

<こたべ・しょうえもん> 1971年、真壁町(現桜川市)生まれ。県立下館一高から高岡短大(現富山大)に進み金属工芸を学んだ。工程が似ているという岩手・盛岡の鉄瓶工房で修業後、実家に戻り、25歳で37代目小田部庄右衛門を襲名した。父親が高校生の時に亡くなり、「職人さんに支えられた」と感謝する。

 

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