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【茨城】

<ひと物語 幕末〜明治>つくば市出身、浅草のにぎわい築く 根岸浜吉(下)

永井荷風や川端康成もひいきにした浅草の街=東京都台東区で

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 浅草は毎日がお祭りのようなにぎわいぶり。とくに、劇場や寄席がひしめく六区はまるでおもちゃ箱のような楽しさがあふれてます。六区に、にぎわいをもたらしたのは根岸浜吉でした。彼が六区で最初の劇場である常磐座を開場したのを契機に劇場や遊技場が続々とオープンするからです。このような根岸を浅草の情報を発信する月刊誌「月刊浅草」編集長の織田邦夫さんはこう評価します。

 「彼はまさに偉大な興行師でした。明治という時代の後押しもあったが、庶民感覚に敏感で、おもしろいものをつぎつぎと先取りしていった。その精神は現在も木馬亭や木馬館に受け継がれ、庶民の娯楽を守り続けてます」

 根岸が設立した根岸興行部は現在六代目。けれど現在体調を崩され、話は聞けませんでした。

 根岸の時代を先取りする試みといえば、一九一一年に金龍館をオープンし、映画『ジゴマ』を上映して好評を博し、浅草にもうひとつ、映画ファンという新しい客層を呼び込んだことです。さらに、この後、根岸興行部が東京倶楽部(くらぶ)を設立し、三館共通制を導入したことです。

 では、三館共通制とは何か。根岸のひ孫に当たる根岸喜久子さんの話を「浅草双紙(ぞうし)」から引用します。

 「常磐座・金龍館・東京倶楽部をつなぎ、三館共通のシステムとして芝居やオペラ、活動の三つの出し物を一枚の木戸で楽しめるようにした興行方法で、これは珍しがられた」と述べています。木戸は切符のことで、一枚の切符で、三館の出し物を楽しめたというわけです。

 三館は根岸三館ともいわれ、浅草興行街の黄金時代を築きます。そのため、後に作家となる土浦出身の高田保や、映画プロデューサーの立花寛一、あるいは劇場オーナーの山田喜久治郎など県出身の人々が根岸興行部に勤めています。

 一二年五月、根岸浜吉は八十五歳で波乱に富んだ人生を閉じます。

 なので、三館見放題の共通制を導入したのは根岸の死後でしたからこれを知らず、米国留学から帰国したダンサーの高木徳子と組み、浅草オペラが一世を風靡(ふうび)したのも知りません。

 進取の気風に富んだ根岸の遺志は現在もしっかり受け継がれ、六区は興行の街として日々装いを新たにするとともに萩本欽一、ビートたけし、あるいは渥美清といったエンターテイナーを世に送り出しています。(ノンフィクションライター・岡村青)

<参考文献>

 「浅草六区興行史」(台東区立下町風俗資料館) 

 「浅草双紙」(浅草の会編)

 

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