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【茨城】

<ひと物語>パプリカ生産「先駆者」 昨年発足「国産ネットワーク」会長就任・林俊秀さん

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 南米原産の野菜・パプリカを、水戸市で二〇〇〇年から生産している。一九九三年にオランダから初輸入され、国内での栽培も九九年が最初とされる。パプリカ生産の「先駆者」の一人として栽培に励む。

 広さ二・三ヘクタールの巨大な温室には、背丈三メートルの木がずらり。赤や黄の大ぶりの実がなる。熟してから収穫し出荷できるため、「みずみずしい甘さがあり、鮮度は抜群です」。国内流通品の九割が韓国やオランダからの輸入品で、実が青い段階で収穫し、輸送している間に熟すのを待つため、鮮度に差が出る。

 パプリカは、トマトやナスに比べ、生育適温の幅が狭く、繊細な野菜。「経験や勘に頼る栽培はできない」と、温室の気温や湿度、水分量、二酸化炭素の濃度などを全てデータ化し、機械的に管理している。条件に合わせ、天井窓を開閉させたり、苗一本一本に自動的に養液を与えるようにしたりしている。

 もともと農業に関心があり、玉川大学農学部へ進学し、現在の全国農業協同組合連合会(JA全農)いばらきに就職。やりがいも感じたが「農家になりたいという気持ちが、ずっとくすぶっていた」と振り返る。

 転機は九七年、仕事でオランダへ渡り、現地の農業を視察したことだ。パプリカが育つ姿を初めて見て、「プラスチックのような野菜がある」と衝撃を受けた。当時は都心のデパートで一個八百円で売られており、「この野菜を国産で作れたら高く売れるのではないか」と考えた。二〇〇〇年に退職し、パプリカを育てたい仲間とともに、再度オランダへ向かい、温室野菜の専門学校で学んだ。その年の十二月には、早くも初出荷にこぎ着けた。

 栽培面積も広がり、現在の収穫量は年間約三百トンにまで成長。八割を首都圏に出荷している。市内の直売所やスーパーでも売られ、市の特産品としても位置付けられている。

 国産パプリカの栽培が始まり約二十年。国産志向が高まる中、最近では豊田通商(名古屋市)や富士通(東京都港区)など企業が新規参入し、大規模生産を展開。しかし、まだまだ外食チェーンへの原料供給がまかなえないのが現状だ。

 国産の供給を安定させるため、昨年十月に「国産パプリカネットワーク」が発足。会長に就任した。「企業はライバルだけど、手を結べるところは結ばないと」。培ったノウハウを生かし、これからも水戸からパプリカ業界を支えていくつもりだ。 (山下葉月)

<はやし・としひで> 1962年2月、茨城町出身。農業生産法人Tedy(テディ)代表取締役。農業の規模拡大に伴い、経営についてしっかり学ぼうと、50歳の時に筑波大院生命環境科学研究科に進学。昨年7月に修了した。

 28日午前10時から、家庭でのパプリカ栽培のコツを伝授する座学講習会を水戸市のTedyの温室で開く。参加費1000円。問い合わせは=電029(350)1747=へ。

 

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