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【茨城】

<ひと物語>幕末〜明治 常陸太田市出身 国内初の医学博士・佐藤進(上) 

わが国初の医学博士になった佐藤進の像=常陸太田市で

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 医療福祉や食住環境の向上で人々の健康増進が図られ、日本は長寿国とも言われるようになりました。それだけに、私たちの健康と生命を守る医療の発展に尽くされた先人たちの献身的な努力を思わずにいられません。外科医佐藤進も、そのような医学博士でした。

 佐藤は一八四五(弘化二)年、現在の常陸太田市で生まれました。後年、留学したドイツのベルリン大学で、日本人が博士号の学位を取得した最初の人となりました。さらに、日本政府から学位令が発布されたのを受け八八(明治二一)年五月には、理学、法学の分野などとともに国内初の医学博士となります。

 「ベルリン大学での学位取得は日本だけでなく、実は、東洋においても最初だったんです」

 このように語るのは、常陸太田市にあるヨネビシ醤油(しょうゆ)の代表を務めていた高和剛(たかわつよし)さんです。ヨネビシ醤油は佐藤進の生家です。佐藤は十四歳で現在の千葉県佐倉市(佐倉藩)にある順天堂に入門し、西洋医学の道に進みました。

 「入門も、今でいえば交換留学です。当時、西洋医学を奨励した佐倉藩は優秀な人材を求めていたので、水戸藩もこれに応え、彼を順天堂に派遣したんです」(高和さん)

 順天堂で西洋医学を修めた彼は、戊辰戦争(六八〜六九年)で負傷した人たちを治療するなかで、日本の外科医療の遅れを痛感。医療先進国のドイツ留学を思い立ち六九年六月、二十四歳で渡欧します。この時の海外渡航免状、今で言うパスポートの発給のわが国の第一号ともされます。

 ベルリン大学に入学し、理学や解剖学を学び、普仏戦争では軍医助手として負傷者の外科手術も経験するなど学業を修め、七四年に学位を取得。その後、ウィーンでさらに研究をかさね、七五年に帰国します。

 佐藤の外科医としての功績は八九年一〇月、暴漢が放った爆弾で右足を失った大隈重信外相の手術を担当、あるいは九五年三月、日清講和条約締結交渉のため、来日中の李鴻章全権大使が銃撃されると政府派遣の軍医総監として治療に当たったことです。これが功を奏し、李大使はやがて回復して条約に調印します。

 「彼は、医学はいわば活人剣である、と語ってます。つまり命を守り、人を生かすということですね」

 佐藤進の医療に取り組む姿勢を、高和さんはこのように言います。 (ノンフィクションライター・岡村青)

<参考文献> 「順天堂史・下巻」(順天堂) 「佐倉市史・巻二」(佐倉市)

 

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