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【茨城】

<ひと物語 幕末〜明治>外科医、多方面に手腕 佐藤進(下)

佐藤進が医師を志して入門した順天堂。現在は旧佐倉順天堂として千葉県の史跡に指定されている=千葉県佐倉市で

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 外科医佐藤進はドイツのベルリン大学を卒業後、オーストリアのウィーンに渡り、外科学の権威者であるビルロート氏のもとでさらに研究を続けていました。

 けれど、師であり義父でもある佐藤尚中(たかなか)が病床にあるとの知らせを受けて一八七五年八月に帰国。その後、順天堂の運営に携わります。

 明治政府の要請で大学東校(東大の前身)に登用された尚中は一八七二年十月に退任し、日本橋に博愛舎私立病院を開設。予想以上の盛況を見せ、翌年二月、練塀町(現在のJR秋葉原駅付近)に順天堂を開きます。こちらも盛況をきわめ手狭になったため、湯島に移転します。

 これが現在、JR御茶ノ水駅近くに立つ順天堂医院です。尚中はこの移転直後病床に伏せ、佐藤進に運営を任せます。

 欧州留学で会得した最新医療の知識と技術を持ち帰った佐藤は早速、それを実施します。当時、わが国はまだ傷口の化膿(かのう)予防の滅菌処理や医療器具の消毒対策が不十分だったことから、彼は石炭酸などを用いてこれを克服します。外科医としての手腕は整形外科、産婦人科、皮膚科など多方面で発揮されます。

 医療行為だけでなく、教育の向上にも彼は大きく貢献しています。ビルロート氏の「外科総論」をもとに「外科通論」を執筆し、後進の指導に役立てています。

 さらに一九一二年三月、故郷の太田尋常高等小学校付属幼稚園の設立の際には、園舎のほか備品購入のために高額の寄付をしています。幼稚園は現在の常陸太田市立太田進徳幼稚園で、子どもたちのすこやかな成長を見守るように、正門を入った右側には佐藤進の銅像が立っています。

 「進徳という園の名前も、子どもたちに道徳を進めてほしいとの、佐藤の願いを込めて名付けられたものなんです」

 佐藤進の生家を継いだ高和剛さんは、園名の由来をこう説明します。幼稚園のほか、県立太田第一高校には、彼の筆による「博学之審問之」の扁額(へんがく)も寄贈しています。

 外科医あるいは教育者としてわが国の医療発展に大きな足跡を残した佐藤進は一九二一年七月、七十五歳で逝去します。

(ノンフィクションライター・岡村青)

<参考文献> 「順天堂史・下巻」(順天堂)

       「佐倉市史・巻二」(佐倉市)

 

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