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【茨城】

<ひと物語 幕末〜明治>牛久市出身 あんパンを最初につくった 木村安兵衛(上)

あんパンを世に送り出した木村安兵衛(右)とぶん夫妻の像=東京都台東区の東禅寺で

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 俳人の正岡子規はかなりの健啖家(けんたんか)だったらしく、病床にあっても三度の食事のほか毎日数個あんパンを食べていたといい、民俗学者であり植物学者でもあった南方熊楠も夜食にかならずあんパンを食べ、研究に没頭したといいます。

 「実は、田中角栄元首相も日中国交回復交渉に当たって、ある中国高官の好物があんパンであることから、贈り物にした。あるいは橋本龍太郎元首相もあんパンを好んで食べていたといいます」

 あんパンの老舗・銀座木村家の営業企画室の上野仁さんはこのように、あんパンにまつわるエピソードを語っています。

 人々に愛され、親しまれているあんパン。実は、現在の牛久市出身の木村安兵衛が一八七四(明治七)年、銀座尾張町(現東京都中央区銀座)の「木村屋」で製造販売したのが始まりでした。

 木村は旧姓を長岡といいます。二十二歳で木村ぶんと結婚し、現在の龍ケ崎市にあった木村家に入ります。けれど、婚家は小貝川の氾濫で水田の被害が絶えないことから、長男だけ故郷に残して妻子とともに江戸に出ます。

 いくつか転職を重ねる中で、オランダ屋敷でパン製造を修業した職人と出会い、一八六九年に現在の東京・JR新橋駅付近でパン店『文英堂』を開きます。けれど、まもなく焼失したため銀座尾張町に移転し、店名も『木村屋』と改めて再建します。

 オランダ仕込みのパンは硬く、まんじゅうや団子に慣れた日本人には向きません。木村は、横浜の英国商館で修業した次男の英三郎に製造をまかせます。英三郎は日本人好みのふんわり、ふっくらしたパン作りに工夫をこらし、酒まんじゅうをヒントに、パンの中に餡(あん)をつめることを思いつきます。元祖あんパンの誕生です。

 西洋生まれのパンに日本の伝統的な餡でつくられたあんパン。まさに和洋折衷、和魂洋才を形にしたともいえ、木村屋のあんパンは近代化を目指す明治時代の要請にぴったり。そのため、あんパンの評判はうなぎ上りでした。

 木村屋のあんパンは国内最初の菓子パンともいわれます。けれど、実は同じく名古屋市で干しブドウ入り菓子パンが販売されているので、どちらが最初かは明確でないようです。

 また、「木村家」と「木村屋」の使い分けについて上野さんはこのように説明します。

 「木村家を用いているのは銀座総本店のみ。それ以外の支店などは木村屋を使用してます」 (ノンフィクションライター・岡村青)

      ◇

<参考文献> 「銀座木村屋あんパン物語」(大山真人、平凡社新書) 「パン産業の歩み」(パン産業の歩み刊行会編、毎日新聞社)

 

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