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【茨城】

戦争遺構 街づくりに活用を 風船爆弾や特攻艇拠点 

市内にただ一つ残る放球台の跡を指さす穂積さん。直径は10メートルある=北茨城市で

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 太平洋戦争時に風船爆弾や特攻艇の拠点があった北茨城市で、「戦争の遺構と平和を語り継ぐまちづくりシンポジウム」(県自治体問題研究所主催)が二十三日に開かれる。記憶とともに風化が進む戦争遺構を活用し、平和を考えながら、街づくりにもつなげる方策を探る狙いで、意見をまとめて市に提言するという。(鈴木学)

 研究所理事の穂積建三さん(74)によると、北茨城市は千葉県一宮町、福島県いわき市勿来とともに、日本軍が米国本土を狙った風船爆弾打ち上げの拠点だった。

 一九四四年秋から翌春にかけて三基地から約九千三百個を放球、千個近くが米国本土に届いたともいわれる。旧大津町には十八の放球台があったといわれるが、戦後は田や畑に戻され、跡が残るのは一カ所のみ。長浜海岸にある「青い気球よさようなら さようなら戦争」と刻まれた「わすれじ平和の碑」などとともに、わずかに歴史を伝えるだけになっている。

 また、平潟港には、爆弾を積載した特攻艇「震洋」の基地もあった。崖にある格納庫の跡は大雨や地震などで崩れ、東日本大震災でさらに危険な状態になり、倒壊の恐れが高まっているとして全てふさがれた。内部を見ることはできない状態になっている。

 穂積さんは「負の遺産と言う人もいる。放球台の跡などには説明もないが、戦争の愚かさや平和を考えるには意味のある遺構であり、街づくりにもつながるはずだ」と話す。

 シンポジウムは市漁業歴史資料館「よう・そろー」を会場に、午後一時半開演。「震洋」の歴史の掘り起こしに尽力した郷土史家・丹賢一さんが「北茨城市の戦争遺構は、いま」と題して報告。茨城大の佐々木啓准教授が基調講演のほか、パネルディスカッションもある。資料代五百円。問い合わせは穂積さん=電0293(46)8833=へ。

 

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