東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 茨城 > 記事一覧 > 6月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【茨城】

<ひと物語 幕末〜明治>牛久市出身 あんパンを最初につくった 木村安兵衛(中)

「木村家」ののれんがかかる総本店。のれんの文字は、山岡鉄舟の筆による=東京都中央区で

写真

 明治となり、文明開化の始まりとはいえ、まだ封建時代の旧弊が残る中でパンの製造業に着目するなど、木村安兵衛は進取の気性に富んだ人でした。

 「実は、それだけではありません。新橋横浜間に鉄道が開通すると、駅に売店をオープンし、乗客にミルクやパンを販売する、あるいは店の広告宣伝にチンドン屋を起用するなど、ベンチャー精神に優れた人でした」(銀座木村家営業企画室の上野仁さん)

 今や、大きな駅に飲食店や書店、売店があるのは当たり前の光景です。鉄道開業当初から、木村は駅にビジネスチャンスを見いだしていたようです。

 木村は農業に見切りをつけて江戸に出た後、転職を繰り返す中でパン職人と出会い一八六九年、現在のJR新橋駅付近で文英堂を開店し、パン製造業に乗り出しています。

 わが国で最初にパンを焼き上げたのは四二年四月十二日、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門でした。彼は、難破した船を建造中のロシア兵にパンを焼いて提供しています。

 また、日英修好通商条約締結などによる横浜開港で英国人が増加すると、パン店の営業が始まります。けれど、これらは英国人が経営し、英国流に焼いた、英国人パン店でした。

 英国流とはイギリスパンのことです。「イギリスパンは山形が特徴です。食パンには山形と角形があり、前者は表面が山のようにでこぼこしてます。後者は箱形をしており、これは鉄道の車両を模したものと言われます」

 つくば市でドイツパンを製造販売する「ピーターパン」の酒井幸宏・代表取締役会長はそう説明します。

 話が横にそれましたが、木村屋は日本人が経営する、日本人のためのパンの製造販売を目指した点で、従来の英国人経営のパン店と違いました。時代を先取りする木村のビジネス感覚が功を奏し、商売は順調に進みます。

 けれど、他店よりさらに一歩前に出るには、木村屋が独自に開発したオリジナル商品が要求されます。このことに気づいた次男の英三郎は研究を重ね、それがやがてあんパン開発に結びつくのでした。(ノンフィクションライター・岡村青)

    ◇

<参考文献> 「銀座木村屋あんパン物語」(大山真人、平凡社新書) 「パン産業の歩み」(パン産業の歩み刊行会編、毎日新聞社)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報