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【茨城】

<ひと物語 幕末〜明治>笠間市出身・日本で最初の女性聖像画家 山下りん(上)

26歳当時の山下りん

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 笠間で生まれた山下りんはわが国初の女性の聖像画家でした。聖像画は「イコン」ともいわれますが、一般にはあまりなじみがないかもしれません。

 けれど、イエス・キリストや聖母マリアを描いたステンドグラスなどを見たことがあれば「あぁ、あれか」と思い、キリスト教関係の絵画と気づくに違いありません。

 では、なぜ彼女は聖像画を描くようになったのでしょう。「幼少時代から絵が好きだった彼女は画家を志して東京の工部美術学校に入学したのが始まりでした」

 このように語るのは、山下りんの実弟峯次郎のひ孫に当たる柳澤幸子さんです。柳澤さんは、山下りんの絵画や書簡などの遺品を展示する資料館『白凛居(はくりんきょ)』(笠間市笠間)を運営し、入場料無料で一般公開しています。

りん作のイコン画

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 山下りんは一八五七(安政四)年五月、現在の笠間市で誕生します。父は笠間藩士でした。彼女には兄と弟がおり、弟は後に母親の実家の養子となり、小田姓を名乗ります。

 安政といえばまさに幕末。鎖国か開国か・・・などを巡って世の中はざわざわしていました。山下りんの自立心旺盛な、勝ち気な性格もこのような時代の空気が影響していたかも知れません。これぞと思うとひたすら没頭し、ほかのことは顧みないともいいます。

 そのため、画家を目指して東京に向かいます。十六歳の時でした。彼女はのちに柳澤さんの祖母にこう語っています。

 「余生来画を好む。然共郷里に良師無くむなしく過ぎる。漸にして明治六年妾(わたし)の十七歳の折出京」(「山下りん」小田秀夫)

 明治六年ならば満十六歳なので、十七歳は数え年。またこのときは二度目の上京でした。十五歳で故郷を出奔したがすぐに連れ戻されます。けれど二度目は家族を説得し、ちゃんと理解を得て上京しました。

 東京にやって来た山下りんは親戚を頼るものの、一カ月ほどで浅草の浮世絵画家に住み込みで弟子入りします。画家への第一歩です。ところが夢と現実にはどうやら開きがあったようです。翌年二月には早くも浮世絵画家のところを去り、今度は円山派の日本画家に師事するからです。

 ものを創造しようとする人は、とかく自我が強いもの。自分が目指すことに妥協はありません。山下りんもそのような女性でした。

<参考文献> 「山下りん」(小田秀夫、日動出版部)

 

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