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【茨城】

両国の懸け橋になりたい 戦後ベトナム残った父の足跡たどる

添野さん(左)と、自主製作映画の監督を務めた佐山さん=つくば市で

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 土浦市の主婦添野江実子さん(58)が、第二次世界大戦後、ベトナムに残った元日本兵で、独立戦争にも参加した父の足跡をたどり、元日本兵や家族の証言を集めたドキュメンタリー映画「私の父もそこにいた」を自主製作した。構想から三年かけ、今春に初上映。「両国の懸け橋になりたい」とベトナムでの上映も目指す。

 添野さんの父で、十六年前に八十二歳で亡くなった綱河忠三郎さんは栃木県茂木町出身。二十歳で召集されて中国に派遣、ベトナム北部で終戦を迎えた。

 寡黙で生前多くを語らなかった。酔ってふと「ホー・チ・ミンに会った」と話したことはあったが、それ以上聞かなかった。二〇一五年一月、「ベトナムに行く」と言い出した娘の一言で初めて「父は何をしていたんだろう」と興味を抱いた。

 防衛省や栃木県に問い合わせて記録を入手したが、終戦六日後の離隊で記録は途絶える。学識者や元日本兵の家族を訪ね、ベトナムにも渡って調べると、綱河さんがベトナム独立同盟(ベトミン)と共に、フランスとの第一次インドシナ戦争を戦ったことが少しずつ明らかになっていった。

 ベトナムで手に入れた一枚の集合写真。元日本兵ら約三十人の中に、懐かしい笑顔があった。「お父さんだ」。その後、当時の新聞記事で名前を見つけ、一九五四年十一月に引き揚げ船「興安丸」で京都府の舞鶴港に戻ったことが分かった。

 数百人とされるベトナム残留日本兵や、生き別れになった家族の存在を「もっと知ってほしい」との思いが膨らみ、友人のデザイナー佐山剛勇(たけお)さん(66)に監督を依頼し、一五年の暮れに製作委員会を立ち上げた。

 元日本兵や家族、学識者など計六人の証言を集めた映画は約四十分。元日本兵の孫のベトナム人女性は幼少期に「日本人は悪いことをした」と教えられたが、日本に帰った祖父から「たくさん愛情をもらった」。綱河さんと暮らしたことがあったという元日本兵は、ベトナムでの生活を詳しくは語らなかった。

 戦争に翻弄(ほんろう)された家族の思いに焦点を当てた佐山さんは「家族愛の映画」と強調する。添野さんは「ゆかりの人に会い、父が苦労して生き抜いた土地を知りたい」と、これからも調査を続けていく。

 

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