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【茨城】

自民県連最高顧問・山口武平さん死去 県内政界悼む声「今の茨城の骨格つくった」

2016年の大洗町長選で、現職の応援に駆けつけた山口さん(中)。つえを突いており、田山県議(左)に支えられながら壇上に上った=大洗町で

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 半世紀以上の長きにわたって県議を務め、保守王国・茨城をリードした自民党県連最高顧問の山口武平さんが死去した。九十七歳だった。その存在感の大きさから「県政界のドン」と呼ばれた山口さん。関係者は「今の茨城の骨格をつくった」と功績をしのんだ。 (鈴木学、越田普之)

 山口さんは現在の坂東市出身。自民党が結党した一九五五年、県議に初当選した。加齢を理由に引退するまで、在職は十四期五十五年に及んだ。県議会議長を二度務めたほか、八七年から二十年以上、自民県連の会長として絶大な影響力を誇った。

 自民県連の田山東湖幹事長は「空港や鉄道、高速道路など、今の茨城の骨格をつくった。口数が少なく強引というイメージも強いが、実際は話が分かる人だった」と振り返る。「勉強家で、党の中央にも顔の利く特異な地方政治家だった。あれだけの人はもう出てこないと思う。一つの時代が終わった感じがする」と惜しんだ。

 一方、トップダウン型の政治手法が反発を呼んだことも。橋本昌前知事が五選を果たした二〇〇九年の知事選では対立候補を立てて大敗するなど、辛酸もなめた。地元では中村喜四郎衆院議員(茨城7区)と激しく対立し、市長選などで「代理戦争」が繰り返されてきた。

 一九六六年の議長改選を巡る「黒い霧事件」では受託収賄の罪に問われ、最高裁で有罪が確定。山口さんは二〇一〇年の引退会見で「五十五年で一番ばかを見たと思っている」と述懐していた。

 県議引退後も、首長選などの応援で精力的に県内を回った。昨年の知事選では大井川和彦知事を支援し、初当選へ導いた。大井川知事は二十八日、「新しい県づくりでも変わらぬご指導を期待していただけに、残念でなりません」とのコメントを発表した。

 県議会のライバルからも追悼の言葉が聞かれた。旧民進党地方議員らが設立した政治団体「茨城県民フォーラム」の長谷川修平代表は「社会党の若手時代からよく話を聞いてくれた。茨城のために頑張る同じ議会人として接してくれた」と語り、冥福を祈っていた。

 自民県連によると、お別れの会を開くかどうかなどは、今後協議するという。

 

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