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【茨城】

<つなぐ 戦後73年>水戸空襲 忘れないで 水戸で三橋さんら体験談

水戸空襲の体験を語る三橋昭子さん=水戸市で

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 約300人が犠牲になった水戸空襲から73年を迎えた2日、戦争の悲惨さを語り継ごうと、体験者から話を聞く会が水戸市内で開かれた。当時、国民学校の教師だった三橋昭子(てるこ)さん(91)ら2人が登壇。親子連れらが参加し、平和の大切さを考えた。 (山下葉月)

 水戸空襲は、一九四五年八月一日未明から二日明け方にかけ、米軍が水戸市内を中心に焼夷弾(しょういだん)を落とした。県の記録などによると当時、住んでいた戸数の九割に当たる約一万戸が焼け落ち、約四・五平方キロメートルが一晩で焦土と化した。

 三橋さんは空襲前に父親を亡くし、市内で母親と二人暮らしだった。一日深夜、二人で自宅にいると「飛行機の音がだんだん大きくなり、真っ暗の中でぱっと明るくなった。すると、火の玉が落ちてきた」。それは焼夷弾で自宅にも落下。あっという間に燃え広がった。

 位牌(いはい)と家系図を手に、飛び出した。街中で、わが子の名を呼ぶ親の声や人々の絶叫が入り交じる中、母の手を引いて夢中で逃げた。時折、後ろを振り返ると、「水戸の町は夕焼けのように真っ赤に燃えていました」。明け方、自宅へ戻ったが、何もかもが焼け落ちていた。

 「あの空襲によって、戦争は絶対にいけない、平和の喜びを教えられた」と話す三橋さん。三年前、百枚の原稿用紙に自身の戦争体験をまとめた。これを踏まえ、参加した人たちに「書き留めることで、今日の話を忘れないで」と呼び掛けた。

 会は水戸市立博物館が毎年八月に企画。終戦記念日の十五日にも別の体験者の話を聞く会が開かれる。

 

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