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【第100回全国高校野球選手権大会・千葉】

県勢 甲子園での熱戦の歴史 「野球王国」から群雄割拠時代に 

 100回目を迎えた全国高校野球選手権千葉大会。全国有数の出場チーム数を誇る県内で、球児たちは夏の甲子園への切符を懸け、熱戦を繰り広げてきた。

 一九一五(大正四)年に始まった夏の甲子園。戦前は千葉中(現県立千葉)、千葉商、関東中(現千葉敬愛)が多く出場。戦後の昭和二十年代までは成田中(成田を含む)が最多の出場を誇った。

 千葉を「野球王国」へと押し上げたのは、一九六〇年代の伝統校・銚子商と新興校・習志野の2校のライバル関係だった。両校の活躍がもたらした千葉の「黄金時代」は七〇年代まで続いた。

 銚子商は五八年に夏の甲子園初出場。4回目の夏となった六五年、県勢として当時の歴代最高成績となる準優勝を果たした。追うようにして六七年、2回目の夏の甲子園で習志野は、県勢初の全国制覇を果たす。七四年夏に銚子商が全国制覇。七五年夏には習志野が2度目の全国制覇を果たした。

 その後、県勢の構図は大きく変わり、群雄割拠の時代を迎えた。七八年に我孫子が初出場。八三年には印旛(現印旛明誠)が初出場。市立船橋や拓大紅陵といった学校も台頭した。21世紀に入ってからも混戦状態が続く中、木更津総合が二〇〇三年の初出場以来、6回出場している。

 県高野連の圓城寺一雄会長は「熱心な指導が多いのが特徴だ。今後も各校で切磋琢磨(せっさたくま)を続け、50年、100年と千葉の高校野球が続いてほしい」と話した。 (山口登史)

 

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