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【神奈川】

米国から「里帰り」 シドモア桜、25周年

横浜外国人墓地にあるシドモアの墓。奥にあるのがシドモア桜=横浜市中区で

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 明治時代、日本から米国ワシントンに3000本の桜が贈られた。現在でもポトマック河畔で咲き誇る桜から苗木を作り、日本に「里帰り」したものが、横浜外国人墓地(横浜市中区)にある。植樹されたのは1991年。今では横浜の風景に溶け込み、今年も元気に開花した。四半世紀をへて、桜に込められた思いを広めようと、再び動き始める関係者もいる。 (志村彰太)

 ポトマック河畔の桜は、日本に滞在歴のあった紀行作家エリザ・シドモア(一八五六〜一九二八年)の提唱で、東京・荒川沿いの「五色桜」として知られた複数種の桜の接ぎ木が贈られた。贈り主は東京市(当時)だが、横浜植木(南区)が苗木の保護を担当し、横浜港からシアトルへの航路を持っていた日本郵船が無償で輸送した。シドモアの墓は横浜外国人墓地にあり、横浜とのつながりも深い。

 初めての「里帰り」は一九五二年。戦後の燃料不足で伐採された五色桜を復活させようと、ワシントンからの苗木が荒川沿いに植えられた。この時は根付かず、八一年の二回目の里帰りなどで現在の姿に至る。

 横浜への里帰りは、日本に進出していた米企業が提案し、財団法人・日本さくらの会が協力して実現した。同会によると、百本近くが日本に到着し、多くが都内の公園に植えられた。品種はソメイヨシノとみられるが、「ソメイヨシノと別の桜の雑種」と説明する関係者もいる。

 横浜には五本が託され、「シドモアが寂しくないように」と、一本はシドモアの墓碑横に植えられた。残り四本のうち三本は枯死したが、一本は墓地内の米国人が埋葬されているスペースにある。

 「シドモアはすごい人だと思った。その精神を広げたい」。二十五年前、横浜市職員として桜の里帰りに携わった樹木医の池本三郎さん(76)=港北区=は、シドモアが日米友好に尽くしたことを初めて知った。退職後の二〇〇一年、墓碑横の桜から枝を採取して増やした苗木を「シドモア桜」と名付け、全国に広める活動を始めた。

 五年間で二百本に増やし、長野県や富山県などに贈った。しかし、七年前に脳梗塞を発症。体が思うように動かず、いったんは活動を諦めた。今年になって、「手足に感覚が戻ってきた」。全国に広げる目標に向けて、接ぎ木作業を再開。「希望者がいれば、どんどん贈りたい」

 桜の成長をわが子を見つめるような思いで過ごした人もいる。「最初のうちは弱々しかったけど、随分大きくなったなと思う」。県内の文化人らでつくる「シドモア桜の会」の恩地薫さん(76)=鎌倉市=は、しみじみ語る。会はシドモアの功績を伝えるため八七年に結成、外国人墓地での植樹にも参加した。

 墓碑横の桜は、放置すると枯れる病気にかかり、会の努力などで回復。他の三本が病気で枯れていくのを目の当たりにしてきただけに、恩地さんには残った桜が咲き誇る姿に格別の思いがこみ上げる。

 「私たちと一緒で、桜も年を取る。大事に育て、次の世代につなげないといけない」。若い世代の会員を増やし、シドモアの精神を伝えていく決意を新たにしていた。

 

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