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【神奈川】

基地のない横須賀に 月例デモ、節目の500回

500回目のデモを「感謝の気持ちを込めて歩きたい」と語る新倉さん=横須賀市で

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 「基地のない街」を目指し、横須賀市内を市民らが歩く月例デモが、二十四日に五百回目を迎える。基地が市民生活の一部に組み込まれている街で肩身の狭い思いをすることもありながら、四十年以上、一度も欠かさず続けてきた。デモを呼び掛ける「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の新倉裕史さん(69)は「基地問題は簡単に解決しない。粘り強く続けたい」と意気込む。 (福田真悟)

 毎月、最終日曜日に実施しているデモの初回は一九七六年二月二十九日。新倉さんを含め十一人が参加し、しばらくは参加者が一桁に落ち込む時代もあった。

 「心の中で賛同していても、なかなか運動に加わる踏ん切りがつかないのだろう」と新倉さん。米海軍基地に加え、海上自衛隊の地方総監部がある横須賀。関連の仕事をしている市民は多い。自身も、父が米軍の艦船修理をしていた。「ベトナム戦争が起きるまでは反基地運動は嫌いだった」と明かす。

 参加者が五人にまで減りやめることも検討したが、見捨ててはならないと考える人が市内外から集まり、八〇年代以降は一桁を脱却。湾岸戦争があった九一年の約六十人をピークに、平均で三、四十人が参加するようになった。

 デモを続ける上で大切にしてきたのは、対話の姿勢。基地で働く人を責め立てるような言動は取らず、米軍基地の前では米兵らに伝わるよう、英語で語りかける。かつて反基地運動に反感を抱いた経験も踏まえ、新倉さんは「彼らのことを考えて活動しなければ、理解は得られない」と強調する。

 粘り強い活動で五百回目を迎えても、喜びはない。四十年以上も続くのは、それだけ基地の存在が強固なことを意味するからだ。寄港する米海軍の空母は二〇〇八年から原子力空母に変わった。「継続のどこが力か」と悩むこともある。

 それでも続けるのは、平和を願う市民の受け皿でありたいとの思いから。五百回目は二十四日午後四時、基地が見えるヴェルニー公園(同市汐入町一)に集合する。新倉さんは「萎縮することなく続けてこられたのは市民の理解があったからこそ。感謝の気持ちを込めて歩きたい」と語った。

     ◇

 月例デモの歩みを振り返る写真展が市民活動サポートセンター(同市本町三)で三十日まで開かれている。午前九時〜午後十時、入場無料。

 

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