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【神奈川】

横浜中華街と麺の関わり 幕末〜明治の会芳楼 メニューに「ぶたそば」

史料を手に横浜中華街の歴史を語る伊藤さん=横浜市中区で

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 横浜を代表するグルメの街・横浜中華街と麺類の関わりは、幕末から明治初頭までさかのぼる。その頃、中国出身者が営んでいた「会芳楼(かいほうろう)」のメニューに「ぶたそば八百文」などとある。

 横浜開港資料館(中区)の主任調査研究員・伊藤泉美さん(55)によると、会芳楼は劇場と中華料理店を備えた娯楽施設で、現在の山下町公園の位置にあった。「値段を今の価格に直すのは難しいが、豚肉などをのせた中華の麺料理を日本人向けに出していたことが分かる」と伊藤さん。

 1903(明治36)年刊の「横濱繁昌記(よこはまはんじょうき)」は、中華街の料理店に「各色炒麺(かくしょくしゃめん)(やきそば)」「銀絲細麺(ぎんしさいめん)(南京そば)」「牛肉大麺(ぎうにくたいめん)(牛そうめん)」などのメニューが張られていた様子を描写している。伊藤さんは「中華街では当時から宴会料理に加え、日々の空腹を満たす麺類が提供されていた」と分析する。

製麺所で作った太麺と細麺を見せる魏さん=横浜市中区で

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 今も中華街に残る数少ない製麺所の一つ「萬来亭(まんらいてい)製麺所」は、大正時代に市内で創業、98年に現在地に移った。3代目の社長・魏賢民(ぎけんみん)さん(68)によれば、遅くとも40年前から中華街に麺を供給、最大約50軒と取引があった。

 「店によって麺の太さと1玉の大きさが違う。太さは製麺機に付ける刃を取り換え、要望に合わせていた」と振り返る。最近は県外の大手業者などに押され、納入先は減った。それでも毎朝5時から麺を打ち、併設の料理店「萬来亭」で提供。もちっとした食感の「上海焼きそば」など麺類の人気を支える。

 「材料は小麦粉と塩、卵、かんすいだけ。添加物はない。祖父の代から受け継いだ麺を、このまま作り続ける」と魏さん。長男の恩隆(おんりゅう)さん(29)に2年前から、麺の作り方を伝えている。

幕末から明治初年ごろの「会芳楼」のメニュー(生出恵哉氏所蔵)

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