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【神奈川】

<かながわ麺紀行>(6)即席麺とカップ麺 発明の軌跡、後世に

パッケージの展示の前に立つ日清食品ホールディングスの岡林大祐さん(右)と青木遥さん=横浜市中区で

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◆カップヌードルミュージアム(横浜・中区)

 今や暮らしに欠かせないインスタント麺。世界ラーメン協会(大阪府)によれば、二〇一六年には世界で九百七十五億食が出回った。生みの親は日清食品創業者の安藤百福(ももふく)さん(一九一〇〜二〇〇七年)。その人生に迫る「カップヌードルミュージアム」を訪ねると、インスタント麺が家庭になじんだ経緯がよく分かる。

 正式名称は安藤百福発明記念館。世界に開けた港町・横浜から安藤さんの発想力を発信しようと、一一年に開館した。日清食品ホールディングス広報部の岡林大祐(だいすけ)さん(43)は「安藤百福は何でもヒントにして、自分の頭で考えた。その姿勢を伝えたい」と話す。

 自宅で妻が天ぷらを揚げるのを見て、麺を油で揚げて乾燥させる手法を思い付いた「チキンラーメン」。小さく割ったチキンラーメンをカップに入れ、フォークで食べる米国人から着想した「カップヌードル」。これらの逸話が年表形式で、館内の全長五十八メートルの壁に描かれている。

 時代背景も普及を後押しした。丼に入れ、湯を注ぐだけのチキンラーメンは一九五八年に発売。「女性の社会進出が徐々に進み、『手軽に作れる』と受け入れられた。そして街にでき始めたスーパーの店頭に並んだ。テレビコマーシャルも広まり、知名度アップに役立った」(岡林さん)

 七一年発売のカップヌードルは当初、売れ行きが伸び悩んだ。転機は七二年二月、長野県軽井沢町で発生した「浅間山荘事件」。極寒の中、立てこもる連合赤軍に対峙(たいじ)した警視庁の機動隊員が、湯気の立つカップヌードルをすする姿がテレビ中継され、爆発的に売れるようになった。

(右)1958年の発売当時のチキンラーメン(左)1971年の発売当時のカップヌードル(いずれも日清食品ホールディングス提供)

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 その後、安藤さんは宇宙食用のラーメンを九十五歳で開発。「人生に遅すぎることはない」「六十歳、七十歳でも新たな挑戦はある」との名言を残した。振り返れば、チキンラーメンの発売は四十八歳の時。事業に失敗し、大阪府の自宅庭に十平方メートルの小屋を立てて開発に没頭した結果だった。カップヌードルは六十一歳で世に送り出した。

 こうした歴史を学んでから、インスタント麺のパッケージ三千点を飾った館内の壁面を見ると「一人の発明から、よくぞここまで」と感慨に打たれた。

 「日清では、インスタント麺の新商品を月に十〜二十種出している」と岡林さん。インスタント麺は今年で還暦。発明者の名言通り、新たな挑戦はこれからも続く。 =おわり

<メモ> 横浜市中区のみなとみらい21地区にあるカップヌードルミュージアムは、子どもの創造力や探究心を刺激しようと、チキンラーメンを手作りする体験工房や屋内アスレチックを備える。火曜定休(祝日なら翌日)。入館料は大人500円、高校生以下無料。問い合わせは総合案内=電045(345)0918=へ。

 

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