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【神奈川】

<元気人@かながわ> 「川崎野球界の父」教え子400人以上 川島哲男さん(81歳)

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 八十歳を超えた今も週三日、一日二時間程度、古希を超えた仲間にノックを飛ばす。指導者歴は半世紀を超え、教え子は少なくとも四百人に上る。長年の功績から昨年、川崎市スポーツ賞を受け「川崎野球界の父」とたたえられた。七年間務めた市野球協会理事長は今月退く意向だが「今後も川崎の野球の発展に協力したい」と考えている。

■軍手がグラブ

 群馬県南部の旧渡瀬村(現館林市)出身で、終戦を迎えた時は小学生。野球との出会いは、竹とゴムボールを使った三角ベースだった。「何にもない土地。他に遊ぶこともなかった」と振り返る。軍手がグラブ代わりで、仲間と鉄くずを集めて得た金でテニスボールを買って喜んだ。

 手に職を付けようと、足利工業高校(栃木県)へ進んだ。同校が野球の強豪になろうとしていた時期で、三年間厳しくしごかれた。プロに進んだ同期もいたが、卒業後は日本冶金(やきん)工業に就職し、川崎区の工場で働き始めた。それが川崎との縁の始まりだった。

 入社直後から野球部に所属し、働きながら投手として活躍。エースとして一九七〇年、首都圏の実業団が競う「白竜旗争奪大会」で優勝。そのかたわら、中学を卒業して社内の訓練所に入ってくる子どもたちの野球指導を始め、六三年から専任の指導員になった。

 監督として率いた野球部は、訓練所が提携していた科学技術学園高(本部東京都)の通信制として、八三年に全国高校定時制通信制軟式野球大会に初出場して優勝。八五年まで三連覇した。九六年に定年退職してから十七年間は、市立大師中学校でコーチとしてノックバットを握った。

 長年の指導者生活の中で子どもたちに「あいさつは元気よく。時間は守ろう。道具を大事に」と言い続けてきた。働きながらプレーを続けた経験から「野球だけでなく仕事でも生きる」との思いからだった。

■素振りが日課

 日課とする自宅屋上での木製バットの素振りが健康の秘訣(ひけつ)。柔らかい笑顔を浮かべて「ノックができるくらい元気でいないとね」と話すのは理由がある。五人目の孫(2つ)が初めての男児で、いつかキャッチボールをする日を心待ちにしているからだ。革のグラブとテニスボールはもう買ってある。(大平樹)

◆私の履歴書

1936年10月 群馬県で生まれる

 60年 日本冶金工業川崎製造所(川崎区)に訓練所が開設され、63年から専任の指導員に

 83年 訓練所野球部が科学技術学園高川崎通信制として全国高校定時制通信制軟式野球大会に初出場して優勝

 96年 日本冶金工業を定年退職し、川崎市立大師中学校野球部のコーチに就任。以後17年間務める

2017年10月 川崎市スポーツ賞受賞

 

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