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【神奈川】

「伊勢佐木町ブルース」発売から50年 5日から記念イベント

歌碑を前に「青江さんには感謝の気持ちしかない」と話す林さん=横浜市中区で

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 歌手の青江三奈さん(1941〜2000年)が歌い、冒頭に「ため息」を入れた特徴的な歌い方などが受けて大ヒットした「伊勢佐木町ブルース」が発売から50年を迎えた。伊勢佐木町商店街(横浜市中区)を一躍、全国に知らしめたこの曲。地元関係者は「落ち込み気味だった商店街に元気をくれた。感謝してもしきれない」と語り、5日から記念イベントを開く。 (鈴木弘人)

 「ミンクの上着を着て寒いのにレコード店の前で手渡しで売っていたよ」。商店街で洋傘店を営んでいた野田佑一さん(78)は、発売当初の青江さんの姿をこう記憶している。

 デビュー曲「恍惚(こうこつ)のブルース」(六六年)の後、ヒット曲を出せずにいた青江さんは精力的に営業を続け、曲の舞台・横浜を中心に売り上げを伸ばしていった。やがて人気は全国に広がり、百万枚を売り上げるミリオンセラーに。青江さんは六八年のレコード大賞歌唱賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場して一世を風靡(ふうび)した。婦人服店を経営する津田武司さん(78)は「夜の港街を連想させるメロディーと歌詞が良かったんだろう」と振り返る。

 横浜を代表する商店街も、五九年に高島屋が開店するなどして開発が進んだ横浜駅西口(西区)に押され、売り上げが落ち込んでいた。そうした時に出てきたのが伊勢佐木町ブルースだった。曲の舞台になった街を見ようと人が集まり、「テレビの漫才でしか聞いたことがなかった関西弁をお客さんが話していて驚いた」(津田さん)。

 その後も伊勢佐木町ブルースは地元で歌い継がれ、二〇〇〇年に青江さんが亡くなると、商店街は感謝の気持ちを示そうと通りに歌碑の設置を計画。全国から約四百七十万円の協力金が集まり、「協同組合伊勢佐木町商店街」が出した約四百万円を加えて翌年、ピアノの形で、歌詞や楽譜などを刻んだ歌碑が完成した。

 当時、組合の宣伝委員長だった林博さん(70)は「発売から三十年以上たっていたので、ここまで協力金が集まるとは思っていなかった。商店街を全国区にしてくれた伊勢佐木町ブルースは、今でも私たちの心のよりどころです」と話した。

 ◇ 

 組合は五〜十一日、ライブハウス「伊勢佐木町クロスストリート」で、青江さんのステージ衣装やレコード大賞の受賞盾など約五十点が並ぶ遺品展を開く(入場無料)。十二日には青江さんの曲が中心の記念ライブ(有料)もある。問い合わせは組合=電045(261)2835=へ。

<伊勢佐木町ブルース> 1968年1月5日に発売。作詩は川内康範さん、作曲は鈴木庸一さん。冒頭の色っぽいため息「アァ、アァ〜」や、曲中の「ドュビ、ドュバ〜」など独特な歌い方と歌詞が特徴。歌碑は商店街中ほどの伊勢佐木町4丁目にあり、ボタンを押すと1分10秒間、曲が流れる。

 

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