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【神奈川】

「一瞬の夏」は終わらない カシアス内藤の挑戦 (下)エディとの約束

カシアス内藤(前列左から2人目)とジムの選手たち=横浜市中区で

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 「余命三カ月だと思ってください」。二〇〇四年一月、県立がんセンター(横浜市旭区)で医師から咽頭がんと告知された。まだ五十四歳。「エディさんとの約束を守れなくなるかもしれない」。脳裏をよぎったのはそんな思いだった。

 エディさんとは、プロデビューから教えてくれた米国人トレーナー、エディ・タウンゼント(一九一四〜八八年)のこと。海老原博幸、ガッツ石松ら六人の世界王者を育てた名伯楽だ。

 カシアス内藤は七四年に一度リングを去ってから四年後、二十九歳で現役復帰する時、エディにコーチを依頼した。エディは世界王者になること、引退後はボクシングのすばらしさを伝えるため、ジムを構えて選手を育てることの二つを条件にした。

 「世界王者にはなれなかったけれど、ジムを開く約束は絶対に守りたい」。医師に腫瘍の切除を勧められても「声失って指示を出せなかったらボクシングを教えられない」と断った。入院から三カ月後、放射線と抗がん剤の治療の効果があったのか奇跡的に病状の進行は止まり、退院。「いつ果てるとも分からない命。今こそやらなければ」と決意し本格的に動きだした。

 それを聞き、カムバック後の内藤を中心に描いたノンフィクション「一瞬の夏」の著者で作家の沢木耕太郎と、内藤を撮り続けた写真家内藤利朗らが約三千万円の資金を集めてくれた。ジムの内装とリングの設営は武相高校ボクシング部時代の仲間が手掛け、エディの命日の〇五年二月一日、内藤は「E&Jカシアスボクシングジム」(同市中区)を開設した。

 それから十三年−。エディのEと、内藤の本名・純一の頭文字Jを取って名付けたジムには現在、内藤の長男で東洋太平洋スーパーライト級王者の律樹(りっき)(26)、同ミニマム級王者の小浦翼(23)をはじめ、運動不足解消のために通う人も含めて十一歳〜六十代の約六十人が所属する。

 ジムにはいくつか決まり事がある。一つは礼儀正しくあること。「対戦相手だって、同じようにチャンピオン目指して頑張っている仲間。計量の時は、うちの選手からあいさつと握手をするよう徹底させている」

 内藤はジムが休みの日曜日以外は毎日顔を出し、練習が終わる午後十時から一人、掃除をして帰るのを日課にしている。「翌日、一番に来る選手が気持ち良く利用できるように」との思いからだ。

 医師からは、いつがんが再発してもおかしくないと言われている。それが故に、一日一日を悔いのないように生きる。臆病で試合前は脚が震え、世界に手が届かなかった六十八歳の男は言う。「うまくできなくていい。勇気を出してリングに飛び込んでいけば、それが人生の糧になる」 (敬称略)

 =鈴木弘人が担当しました。

 

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