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【神奈川】

没後200年 湯河原に記念の標柱 伊能忠敬の足跡 後世に

向笠さん(右)宅に木製標柱を立てた加藤さん=湯河原町で

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 江戸時代の測量家伊能忠敬が日本地図を作るために宿泊した湯河原町吉浜のミカン農家向笠進さん(81)方など町内三カ所に、記念の木製標柱(一・五メートル)が立てられた。没後二百年となる命日の十三日、向笠宅前で二百年忌追悼説明会を開催。町によると、忠敬関連の行事は町内初という。

 忠敬の測量日記によれば、測量隊は一八〇一年、旧吉浜村名主の向笠家に宿泊。一六年には体調不良の忠敬を除く測量隊が旧門川村名主の富岡家で昼休み休憩し、十五年ぶりに向笠家に宿泊。翌日、町内の城願寺へ行き、郷土の武将土肥一族の墓所に参った。

 測量日記を読んだ郷土史家加藤雅喜さん(69)は昨年から、両家の子孫や城願寺、町に忠敬や測量隊のことを聞いたが、全員初耳で記録もなかった。今年は全国で没後二百年記念行事が催されるため、加藤さんは湯河原でも命日までに顕彰しようと向笠家、富岡家跡地、城願寺に標柱を立てた。

 測量日記には「向笠家の畳は新しくきれい。熱海温泉に向かう大名が休憩する所」と記載。忠敬が宿泊先の感想を書くのは珍しく、殿様のように迎えられよほどうれしかったらしい。測量隊が同じ家に二度来るのも異例という。

 富岡家は、石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝を救った土肥実平の子孫に当たる。加藤さんは「七十歳をすぎてから頼朝を十年間助けた実平の墓を測量隊が参ったのは、商人を隠居して五十代半ばから日本地図作成の大事業に挑む主人忠敬と重なったからでは」と推測。町民ら二十人が集まった追悼説明会で、忠敬の人物像などを紹介した。

 実平を顕彰する市民団体「土肥会」理事を務める加藤さんは「忠敬や測量隊ゆかりの地を巡る街歩きなどを考え、第二の人生を送る人を応援したい」と話す。

 加藤さんらは将来、木製標柱を石製に変える考えで、町も協力するという。

 命日などの年月日はいずれも旧暦。 (西岡聖雄)

 

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