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【神奈川】

<1998 YOKOHAMA 六つの奇跡> (1)箱根駅伝連覇の神奈川大

ガッツポーズでゴールする神奈川大の中里竜也選手=1998年1月3日、東京・大手町で

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◆若き指導者がチーム変えた

 東京都心・大手町のオフィス街を、スカイブルーのユニホームがさっそうと駆け抜ける。一九九八年一月三日、箱根駅伝のゴールテープを真っ先に切ったのは前年に続き、神奈川大だった。

 七年前まで長らく予選会さえ突破できなかったチームが、大学生ランナー憧れの舞台を連覇−。八九年にコーチに就任し、躍進を演出した監督の大後(だいご)栄治(53)は「みんなが最後までメンバー入りを諦めなかった結果」と振り返る。

 その象徴が、四年で初めて箱根を走ったアンカーの中里竜也(42)。最後まで当落線上で争い、出場が決まったのは大会数日前だった。「大丈夫か」。レース直前に電話をかけた大後の不安をよそに、区間二位の走りでリードを守り切った。

 「全くプレッシャーを感じなかった。沿道にいた親戚を見分けられたぐらい」と笑う。冷静さを支えたのは、仲間とこなした豊富な練習量だ。強豪校と違い、高校時代から名をはせるエリートはいない。月間七百〜八百キロと他大学をしのぐ走行距離で差を埋めた。

 「誰かが『百二十分走る』と言えば、『じゃ俺は百二十五分』と子どものように競い合った。強くないからこそみんな自分がやらなくては、と思えたのかも」

 自主的に練習に取り組む姿勢は、自ら練習グラウンドへ小型バスを運転し、一人一人と丁寧に向き合う若き指導者が生んだ。大会で結果が出ない時も中里は「この練習量があれば、何かのきっかけで絶対にタイムが出る」との大後の言葉に支えられた。上級生になって地道な努力が実を結び、活躍する先輩がいたのも刺激になった。前年、初優勝時のアンカーも初めて箱根を走る四年だった。

 チームは世紀が変わると、二桁順位が続く低迷期に入る。走り込めば勝てる時代は終わり、もともとスピードのある選手が押し切るようになった。「分かってはいても、それまでの成功体験を捨てるのは難しかった」

 そう語る大後が強化方針を大幅に見直したのは二〇〇九年。予選会で惨敗し、十九年ぶりに本戦出場を逃したのがきっかけだった。以前はいじらなかった選手のフォームに手を入れ、スピードを出す技術の習得を目指すとともに、スカウト体制を強化。長距離界の将来を担うといわれる鈴木健吾(22)らを擁して一七年は五位に食い込み、十二年ぶりのシード権を獲得した。

 優勝候補の一角として期待を集めた今年は十三位と惨敗。だが、初優勝した時も、前年の途中棄権がチームの成長を促した。大後は来年、指導を始めて三十周年を迎える。「スポーツの良さは失敗を糧にできること」と静かに闘志を燃やす。

 (敬称略、福田真悟)

      ◇

 一九九八年、横浜の大学、高校、プロのスポーツのチームが次々に日本一になった。その裏には、頂点に上り詰めるために不可欠な厳しい練習や選手同士の絆、胸に秘めた熱い思いがあった。あれから二十年。彼らが起こした六つの奇跡を振り返る。

 

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