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【神奈川】

<1998 YOKOHAMA 六つの奇跡> (2)全国大学ラグビー選手権初V 関東学院大

優勝カップを手に応援席の声援に応える関東学院大フィフティーン=1998年1月10日、東京・国立競技場で

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◆雪かきの絆が生んだ日本一

 グラウンドを埋め尽くしていた雪がなくなっていた。一九九八年一月十日、全国大学ラグビー選手権決勝の舞台、東京・国立競技場。ベンチ入りできなかった関東学院大ラグビー部員が前日に雪かきをしたおかげだった。

 その光景を目にしたキャプテンの箕内(みうち)拓郎(42)が、チームメートに声を掛ける。「あいつらを日本一の部員にしなければ」。雪かきを呼び掛けた監督の春口広(68)は当時を頭に浮かべ、目をうるませた。「声は掛けたけど、本当にやってくれるとは思わなかった」

 走ってつなぐスタイルのフィフティーンは芝生の上で躍動。三連覇を目指した明治大を30−17で破った。試合が終わると、選手は部員が待つスタンドに向かって一本指を突き出した。「皆が一つになれて勝てた」。フルバックとして勝利に貢献した立川剛士(41)は振り返る。「鎌倉の寺社まで走ってお守りを買ってきてくれた部員もいた。体を張ってカバーするラグビーでは、仲間を思う気持ちがプレーに出る」

 チームが目標に掲げてきた、明治や早稲田などの伝統校を乗り越えての初優勝だったが、そこまでの道のりは長かった。春口が監督に就任した一九七四年は部員八人、関東リーグ三部の弱小。練習場は狭く荒れていて、付近の坂で走り込ませるなどして鍛え上げた。

 就任から九年で一部昇格、九〇年にはリーグ戦で優勝し、部員は百人を超えた。一貫して説いたのが「ワンフォーオール、オールフォーワン(一人はみんなのために、みんなは一人のために)」の精神。「下手でも足が遅くてもいい。仲間のために頑張る気持ちがあれば」。雪かきと、それに応えた選手の姿は、教えが部全体に浸透したことを物語っていた。

 この勝利を機に、関東学院は黄金期を迎える。全国大学選手権で十年連続決勝に進み、優勝は六回を数えた。しかし、二〇〇七年に部員が大麻を使用したことが発覚。春口は引責辞任し、チームはその後、一部と二部を行き来する苦しい時代が続いている。

 卒業後は社会人の東芝府中で活躍し、日本代表にもなった立川はこの春から、母校のコーチに就いた。「自分はここで育てられた。恩返しがしたい。それに、関東が強くないと面白くない。もう一度、雑草集団で勝ちたい」

 一五年に同大経済学部教授を定年退職した春口は現在、NPO法人「横浜ラグビーアカデミー」(横浜市金沢区)の理事長として、小学生タグラグビーの普及などに努める。「人生を通じて付き合える仲間づくりを大事にし、一つにまとまって戦ってほしい」。再浮上を目指す選手たちにこうエールを送った。 (敬称略、福田真悟)

 

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