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【神奈川】

<1998 YOKOHAMA 六つの奇跡> (5)38年ぶり日本一のベイスターズ

38年ぶりにリーグ優勝を決め、ナインに胴上げされる権藤監督=1998年10月8日、甲子園球場で

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◆鍛えて磨いた若手が花開く

 「一九九〇年に入団した時、チームは三十年も優勝から遠ざかっていた。もうそんな経験はできないと思っていただけに、夢の中にいるようだった」

 横浜ベイスターズの左翼手で中軸を担った鈴木尚典(たかのり)(46)=現球団職員=は九八年十一月三日の優勝パレードを回想する。パシフィコ横浜から横浜スタジアムまで二・二キロの沿道に四十万人(球団調べ)がごった返し、秋晴れの空に紙吹雪が舞った。大洋ホエールズ時代から数えて三十八年ぶりのリーグ優勝と日本一に、横浜全体が酔いしれた。

 一度火が付くと止まらない「マシンガン打線」、絶対的守護神「大魔神」こと佐々木主浩(かづひろ)(50)、投手を除きゴールデングラブ賞を総なめにした内野陣…。「プロ野球史上、あんなに強いチームは後にも先にもない」。「4522敗の記憶−ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史」(双葉社)の著書があるライター村瀬秀信(42)は振り返る。

 マジック1で迎えた十月八日の阪神戦。1点リードの九回裏2死、佐々木が投じたフォークに阪神の新庄剛志(46)のバットが空を切った。勢いそのままに、日本シリーズでは西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)を4勝2敗で下した。

 六〇年に三原脩(故人)が率いて初の日本一になった後、チームは低迷。七二年から七年連続Bクラス、八〇年代は他球団の貯金(勝ち星)を増やす「横浜大洋銀行」と揶揄(やゆ)されるほど弱かった。そんなチームが躍進した下地は、優勝時の権藤博監督(79)の前につくられていた。

 「二軍に落ちたいと思った」。九三〜九五年に指揮を執った近藤昭仁(80)は、鈴木がそう漏らすほど若手を厳しく育てた。ナイターの日でも午前十時から打撃練習をし、午後はノック。試合が始まる前に疲れ切っていた一方で「プロで戦う体力がついた」(鈴木)。

 後を継いだ大矢明彦(70)は自主性を重んじ、若手も大人として接した。その結果、マシンガン打線の火付け役、一番石井琢朗(47)、二番波留敏夫(47)のコンビが誕生。自分たちの判断でバントや盗塁などを仕掛け、相手をかき回す。捕手の谷繁元信(47)を含め若手が多く、勢いがついたら止まらなかった。「近藤が鍛え、大矢が磨き、権藤が花開かせた」と村瀬は説く。

 昨年はクライマックスシリーズを勝ち進み、九八年以来の日本シリーズ進出を果たした。日本一は逃したものの、今年は二十年ぶりの優勝への機運が高まる。

 二〇一六年から監督を務めるアレックス・ラミレス(43)が前向きなキャラクターで選手を鼓舞し、若手を中心に勢いに乗ったら手が付けられないのはあの時と同じ。「今年のセ・リーグはどのチームも団子状態。日本一も期待できる」と鈴木。ファンも歓喜の瞬間を待ち望んでいる。 (敬称略、鈴木弘人)

 

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