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【神奈川】

<田中美南のホームタウンかわさき>中原区の等々力陸上競技場 なでしこ入り 夢見た原点

4月28日の新潟戦後、24歳の誕生日をチームの仲間から祝福される田中美南選手(前列左)=東京都多摩市の市立陸上競技場で

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 四月にヨルダンで行われたアジア・カップにサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」の一員として出場し、優勝しました。来年のワールドカップ(W杯)出場は絶対に逃せないので、この大会で出場権を獲得できたことにホッとしています。

 そして、私の二十四歳の誕生日だった四月二十八日に行われたなでしこリーグの新潟戦で、日テレ・ベレーザは、3−1で逆転勝ちすることができました。試合後にチームの仲間やサポーターの皆さんから祝福され、アジア・カップの結果とともにうれしいことが重なりました。

 私がサッカーを始めたのは五歳の時です。兄が入っていた川崎市内の少年サッカークラブの練習に面白そうだったので参加しました。そこで、たまたま蹴ったボールがゴールに吸い込まれたのです。コーチにそのシュートを褒めていただいてサッカーが好きになりました。

 それからは女子のチームに入りながら、練習は男子チームに交じっていました。最初のポジションはボランチ(守備的MF)。パスをすることが多く、今のフォワードのポジションのような点を取るという感覚はまだありませんでした。

 そして、小学校四年生の時の経験が私のその後を変えたのです。地域の女子の大会で勝ち進み、決勝戦は中原区の等々力陸上競技場で行われました。普段は土のグラウンドで練習していたので、ふかふかな芝生の上を走るのは初めてでした。しかも大きな競技場で、ピッチがこんなにきれいで大きいのかと圧倒されました。でも、こんなところでサッカーができるのが夢のようでした。

 試合は延長戦となり、2−1で勝ちました。私は1ゴール、1アシストを挙げ、ゴールはすごい遠くから決めたミドルシュートでした。ピッチを走り回り、汗をいっぱい流して果たしたゴールに「ずっとこういうところでサッカーをやりたい。ゴールを決めたい」と心から感じました。

 この時から将来の夢が「なでしこジャパンに入ること」になったのです。その夢が実現した今は、喜びとなでしこジャパンの一員としての責任の大きさを感じています。

 改装されてスタンドが大きくなり、より雄大さを増した等々力陸上競技場は、私がサッカーの夢を描く原点となった忘れられない場所なのです。  (随時掲載)

<たなか・みな> 1994年4月28日生まれ。川崎市宮前区で育ち、宮前平中時代に日テレ・ベレーザの下部組織に所属。県立百合丘高校時代にベレーザに昇格した。現在はベレーザ主将。なでしこリーグで昨年、2年連続で得点王に輝いた。日本代表でポジションはFW。

 

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