東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 神奈川 > 記事一覧 > 8月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【神奈川】

<城ヶ島だより>(2)砲座、弾薬庫跡 公園に要塞の面影

砲座の跡を指さし「戦時中は大砲が置かれていた」と説明する堀内園長=三浦市で

写真

 県立城ケ島公園の駐車場の一角に、敷石で縁取られた花壇のような場所がある。「ここは砲座の跡。大砲は除去しても、土台は頑丈で壊せなかったようだ」。堀内美徳(よしのり)園長(79)が説明する。

 太平洋戦争当時、城ケ島は首都防衛の要塞(ようさい)の一つだった。東京湾の入り口という立地や、木々が生い茂り身を潜めやすい自然環境が適していると見なされた。

 「ほかにも要塞の跡はある」。堀内園長に先導され、正門をくぐり遊歩道脇の獣道を進むと、やぶの中から地下壕(ごう)が現れた。鍵がかかった扉の向こうは弾薬庫の跡。入り口の壁に、うっすらと塗装の跡が見える。「見つかりづらいよう迷彩柄に塗られていた。風化が進み、分かりにくくなってきたけど」

 公園がある島の東側一帯は戦時中、砲台や兵舎など旧日本軍の拠点が集中していた。撮影スポットとして人気の展望台も、もともとは軍の観測所だった。「金網などで仕切られ、立ち入れなかった」。島で生まれ育って、終戦時小学二年だった城ケ島区長の加藤治彦さん(80)は振り返る。

 住民を除く一般人の入島が制限され、街中を兵隊が「イッチニッ、イッチニッ」と行進していたのを覚えている。「浜で遊んでいたら軍用犬のシェパードに追いかけ回された。あれから犬嫌いになった」と苦笑い。

 戦後、観光地化が進み、島は自由に散策できるようになった。兵隊はもちろん、おっかない犬もいない。「海がきれい」「あっちも行ってみよう」。猛暑の中、スマホ片手にはしゃぐ若者たちの姿に、平和のありがたみがにじんでいた。

<首都防衛の要塞> 東京湾を挟む三浦半島と房総半島を中心に砲台などが設けられた。明治時代から整備が本格化し、太平洋戦争が終わるまで使われた。県内では城ケ島のほか、横須賀市の猿島や観音崎などに要塞があった。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報