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【神奈川】

台湾少年工、生活まざまざと 県央の軍需工場で戦闘機製造 相模原で展示

資料について解説する涌田さん=相模原市南区で

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 太平洋戦争当時、県央地区にあった軍需工場「高座工廠(こうしょう)」で働いていた台湾の少年工の生活ぶりを伝える「戦争と平和展II」が相模原市南区の相武台公民館で開かれている。戦時下の状況がうかがえる貴重な資料約二百点が並ぶ。 (福浦未乃理)

 現在の座間、大和、綾瀬、海老名の四市にまたがっていた高座工廠では、日本の統治下にあった台湾の十三〜十九歳の少年工約八千人が勤務。一九四二(昭和十七)年から終戦まで戦闘機「雷電」の製造に携わり、工廠近くにあった宿舎の十畳ほどの部屋で八〜十人ずつ寝泊まりしていた。

 会場には、地元の村から工廠に派遣されて世話に当たった目代(もくだい)貞子さんが戦後、三十人の元少年工とやり取りした手紙などを展示。母親が恋しくて泣いたことなど、家族と離れて異国で働くつらさなどがつづられている。同時に、休みの日に鎌倉や江の島、映画を見に新宿に出掛けたことなども記され、日本の生活を楽しんでいたことも分かる。

 資料は、元少年工と文通を続けるなどした相模原市南区の文芸評論家涌田(わくた)佑さん(89)が提供した。涌田さんは資料を集める過程で少年工六人が空襲で亡くなったことを知ったといい、「平和を得るまでにはそうした犠牲もあった。歴史を知り、平和の尊さを考えてもらいたい」と話した。

 展示会は入場無料で十九日まで。十二日午後一時半〜三時半に、涌田さんが元少年工の手紙の内容などについて講演。十五日の同じ時間帯には、少年工の宿舎で出された冷や飯や味の薄いみそ汁をはじめ、当時の食糧事情について話し合う会が開かれる。先着五十人にすいとんが振る舞われる。問い合わせは同公民館=電046(256)3700=へ。

 

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