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【神奈川】

<城ヶ島だより>(3)大橋で一変 「分校」に暮らしの記憶

城ケ島分校の教室を復元した部屋に立つ石橋さん=三浦市で

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 古びた黒板、背の低い木の机と椅子。「まさにこの部屋。ここで授業を受けていた」。城ケ島の前区長、石橋銀一さん(76)が懐かしそうに周りを見渡す。

 島の住宅街に建つ木造平屋はかつて三崎小学校(三浦市)の分校で、小学一〜四年が通っていた。市の文化財に指定、保存された校舎は現在、島の歴史を紹介する「海の資料館」として使われている。

 石橋さんが訪れたのは、分校時代の教室を復元した一室。壁には、当時をしのばせる写真が飾られている。裸で海に入る笑顔の男子たちを撮った一枚に、石橋さんの目が留まる。「夏休みはみんな、小遣い稼ぎにサザエやテングサを採りに潜っていたな」。写真の脇には、小学校対抗のリレー大会の賞状。「いつも砂浜で走っていたから、足腰が強かった」とほほ笑む。

 島は戦前から戦後しばらく、男性は漁師、女性は畑を耕す「半農半漁」が当たり前だった。強い風が吹けば三浦半島への渡し船は出ず、移動が不便だったこともある。そんなのどかな暮らしを、一九六〇年に開通した城ケ島大橋が変えた。

 「橋ができて、子どもたちがどんどんサラリーマンになった。観光客を相手にする売店もでき始めた」。バスで本校に通えるようになり、分校は七〇年に廃止。ピーク時に年間二百万人の観光客を呼び込む一方、人口は開通前の約千人から五百人弱に減った。

 在りし日の記憶をとどめるように、資料館には昔の漁業道具も展示されている。「子どもは親の漁を手伝っていた。風が強くなると船が戻って来るって、草野球をしていても中断して海に向かったよ」。そう語る石橋さんを、窓から漏れる夏の日差しが優しく照らしていた。

<城ケ島大橋> 1960年4月に完成した城ケ島と三浦半島を結ぶ全長575メートルの橋。当時、遠洋漁業が盛んだった三崎漁港が手狭になり、対岸の城ケ島を漁業用地として活用しようと県が建設した。渡橋料は車種別に往復50〜530円。島の住民は支払いを免除される。

 

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