つなぐ 希望の木
災難を乗り越えてきた木々を、都内に訪ねた。
【土曜訪問】日本型の社会運動考えたい 新しい文化評論を模索する 宇野常寛さん(批評家)
「時代の精神を築き上げるものは何だろうと考えたとき、社会的事件ではなく、むしろ物語系カルチャーを追う方が有効ではないかと考えたんです」 二〇〇八年の発売と同時に大きな話題を集め、この九月に文庫化された著書『ゼロ年代の想像力』(早川書房)について、批評家の宇野常寛(うのつねひろ)さん(32)は、JR高田馬場駅にほど近い事務所で、こう語り始めた。 「価値観が多様化して社会の全体像はもはや描くことはできない、などといわれますが、僕はそうは思いません。単に見えづらくなっただけなのではないかと。で、物語系カルチャーという最も細分化されているジャンルを分析すると、逆説的に社会の全体像が見えてくるのではないか」 『ゼロ年代−』は、国内の小説、漫画、アニメなどの映像作品を子細に検討することで、文化批評の現状に一石を投じた刺激に富んだ内容だ。七月に刊行された『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)も多くの支持をもって迎えられている。村上春樹から仮面ライダーまで射程を延ばしながら、現代とりわけ一九九五年以降のいまを<拡張現実の時代>であると主張する。かつて社会学者の見田宗介氏が、戦後日本社会を<理想の時代>→<夢の時代>→<虚構の時代>と区分したのに続く概念として位置付けている。 「政治と文学の関係をどう記述するかを自分として整理したのがこの本です。日本の文壇は八〇年代からずっと『文学とは何か』という問題をあまりにも誤って捉えすぎてきたと思いますね。もともと日本の知識人は、文化論なのか社会論なのか体験論なのかよく分からないヌエのような文章を書いていたんです。そういう記述の仕方を継承していきたい」。その意味で、同書に関して経済誌からのインタビューがあったのはうれしかったという。「普通に働いている人に届く言葉で書いているんだなと思いましたから」 大学を卒業後、サラリーマンのかたわら批評の執筆をしていた時期もあったが『ゼロ年代−』が刊行されたころ、それまで勤めていた会社を退職。既存のメディアにはない新たな批評のあり方を問うポップカルチャー評論誌「PLANETS(プラネッツ)」も発行しながら、旺盛かつ幅広い活動を続けている。いくつか抱えている著作もあるが「なかなか構想がまとまらなくて」と苦笑した。 「ポップカルチャー評論は、大衆の欲望の分析です。従来の統計やデータには表れないものも見えてくる。ポップカルチャー評論だからこそたどり着ける現代社会の本質への視座があると思うし、僕はそういうものを目指しているんです」 東日本大震災を機に、文学の役割がさまざまなかたちで問われているなかで、最近は、新たな社会運動のモデルも模索しているという。ヒントとして挙げたのが、小泉政治とアイドルグループAKB48だ。 全く性質が異なる取り合わせにも思えるが、ご本人の中では、筋道が見えている。AKB48のファン投票(選抜総選挙)をめぐるネット上での動向などを分析することで、たとえば投票の動機づけの問題を考える際にも、見逃せない視点があるはずだとみる。人間の欲望が常に渦巻く市場や、情報のネットワークを経由するからこそ発揮される多様性を視野に入れているがゆえに生まれる発想といえようか。 「いわば、小泉政治を逆手に取った、革命ではない社会運動のモデルともいえます。日本は西欧などと違って、そのときの“空気”で物事が動いていきますから。意識の高い人々が集まってデモをする、というやり方は、日本では向いていないのかもしれないと思いますね。人間のいろいろな動機づけに深くかかわっている要素を用いた、新しいボトムアップの意見集約ができないだろうかと」。話を聞いた翌日、AKB48のシングルCDが発売一週間で百三十万枚を売り上げたことが報じられた。 アイドルグループの動向をきっかけとして、これからの社会のすがたを模索するという議論を、単なる俗論とみる向きは少なくないだろう。しかしながら、インターネットの発展などで“だれもがメディアになった”ともいわれる現代にあって、従来の批評や文学が取り組んできたことが、果たしてどれだけの社会的な影響力や公共性を持ち得てきたのだろうか。明晰(めいせき)に自身の考えを訴える宇野さんが一貫して問いかけているのは、実はこの点にあるようにも思えた。 (久間木聡) PR情報
|