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【暮らし】

障害で「命の差別」しないで  死亡逸失利益巡る裁判が本に

晃平さんの遺影を手に裁判を振り返る伊藤啓子さん=愛知県春日井市で

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 障害者施設内の事故で亡くなった知的障害のある少年が、「将来得られる利益はゼロ」と算定されたのは「命の差別」だとして遺族が訴えた裁判の記録が本になった。逸失利益約七百七十万円を賠償金に盛り込むことで成立した和解から四年余り。「障害者の命の価値を巡る状況は、残念だが今も変わっていない」と、家族と担当弁護士は訴える。 (寺西雅広)

 本のタイトルは「晃平くん『いのちの差別』裁判」(風媒社)。執筆者の一人で、裁判を担当した岩月浩二弁護士は「お金を稼げるかどうかで命が判断される。そんな差別が公然と行われていることを、記録として残す意味がある」と話す。

 少年は、重度の知的障害があった名古屋市守山区の故伊藤晃平さん=当時(15)。名古屋市北区の短期入所施設に宿泊していた二〇〇七年十二月二十二日早朝、階段を下りようとして転落、頭を打って死亡した。

 施設側は管理体制の過失を認めたが、施設が保険に加入していた損害保険会社が算出した賠償額は約千五百万円。同世代の健常者の四分の一だった。障害のため、晃平さんが将来働いて得るはずだった収入を意味する「逸失利益」をゼロと見積もったためだ。

 遺族は施設側に逸失利益四千万円を含む約七千六百万円の損害賠償を求めて名古屋地裁に提訴。一二年三月、施設側が約三千七百万円を支払うことで名古屋地裁で和解が成立した。「就労の可能性はあった」として、障害年金一級の受給額を算定基礎とする逸失利益七百七十万円に、慰謝料などを加えた額だった。

 当時は青森、札幌両地裁で知的障害者の逸失利益を認める判決と和解が相次いでいた。ただ、弁護を担当したもう一人の中谷雄二弁護士は「先の二例は重度の障害者だったが、晃平君は最重度。その点で画期的な和解だった」と振り返る。

 社会的にも注目を集めた和解。だが、四年以上が経過した今も、障害者を巡る状況は改善したとは言い難いという。岩月さんは「晃平君以降、障害者の逸失利益を認めた例はない」と首を振る。

 収入を基に逸失利益を算出する考え方は一九六〇年代、交通事故の損害賠償額を求める方法として定着。今でも主流だが、主婦や年収が低い人の賠償額が低く抑えられ、平等をうたう憲法の理念とは矛盾する。

 障害者権利条約が二〇一四年に批准され、障害者差別解消法も今年から施行された。両弁護士は「人間は金を稼ぐだけの存在ではない。障害者の人権を認める動きはあり、少しずつでも前進したい」と話す。

◆「重度だって働ける」

 事故から九年。晃平さんの母、啓子さん(58)は「いま生きていたら二十四歳。きっとどこかで働いていたと思う。障害が重くても、できることがゼロなわけではない」と話す。

 晃平さんは二歳半のときに障害があることが分かった。会話に難はあったが、特別支援学校の中学部で、作業実習を通して成長。「将来、知らない人とも過ごせて社会に出られるように」と啓子さんは考え、通わせるようになった施設で事故が起きた。

 裁判を起こした理由は「命の差別が許せなかった。健常者も障害者も一人の人間なのに」。遺骨は今も自宅にあり、誕生日の一月二十二日は毎年、きょうだいら家族全員でしのぶ。「事故を風化させたくない。二度とこういう事故は起きないでほしい」。啓子さんは願う。

 

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