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【暮らし】

<家族のこと話そう>母譲りの感性大切に ダンサー・村田香織さん

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 母「あーちゃん」が九十一歳で亡くなって一年余が過ぎましたが、まだまだ別れを消化できていません。二十三年前に他界した父は無口で多忙だったこともあり、小さなころから母と姉と女三人の時間が多かった。私は、顔は父親似ですが、雰囲気は母に似ているのでしょう。夫からはよく「今(私のしぐさが)あーちゃんだった」と言われます。

 母は孫たち(姉の子)におばあちゃんと呼ばせず、いつしか「あーちゃん」に。誇り高く心のままに生きました。私たち娘に世の中の常識や道理など、一度も教えたことがありません。

 私は三歳で児童劇団に入りダンスと出合いました。劇団に入れたのはもちろん母。おてんばだった私を見て「力があり余っている」と思ったようです。高校は進学校でしたが、三年のとき急に「踊りで生きる」と思い立ち、卒業後に尊敬する先生に入門しました。米国留学を挟んで本格的に芸能活動も始めましたが、母は何も言いませんでした。

 母も看護師資格を生かして保育ママをしたり、調理師免許を取って喫茶店を開店したりと、やはり気ままに暮らしていました。そんな穏やかな関係は、母が八十五歳で大腸がんの手術を受けたのを機に一変。母と同居していた姉を手伝うため、私も毎週実家に通って介護しました。当時の母は「できません」「分かりません」が口癖。認知症になり始め、本人も強い不安に駆られたのでしょう。それをきちんと受け止め、安心させてあげられなかったのが悔やまれます。

 母が亡くなり、皆さんが口にしたのは「かわいいお母さんでしたね」という言葉。買い物のため母と銀座で待ち合わせをしたら、何と二リットルのペットボトルにオタマジャクシを入れて持ってきたことがありました。「何で!」と怒る私に「だってオタマジャクシだって銀座が見たいわよ」と平然としていた母。子どものころ熱を出すと、解けるのも構わず庭の雪でウサギを作り枕元に持ってきてくれた母。晩年、夫と三人で八ケ岳山麓の別荘に出向くと、帰り際に「木さん、石さん、さようなら」と声を掛けていた母。

 なかなか自分の親を「かわいい」とは思えませんでしたが、最近やっと「そうだったんだなあ」と認められるようになりました。親子関係において自分が成長できたからでしょうか。

 動物や自然をそんなふうに感じて受け入れてきた母。実はダンスの表現にとっても、そうした感性はたいへん大切なもの。私は、知らずに受け継いだのかもしれません。あらためて母に感謝です。

 聞き手・白鳥龍也/写真・五十嵐文人

 <むらた・かおり> 1955年東京都生まれ。高校卒業後、モダンダンス、ジャズダンスなどを学び、女優、タレント、ラジオパーソナリティーとしても活躍。2004年からは各地の水族館の演出も手掛ける。公開中のドキュメンタリー映画「ダンスの時間」(野中真理子監督)に主演。

 

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