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【暮らし】

<家族のこと話そう>芸術の厳しさ 父に学ぶ 映画監督・三島有紀子さん

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 有紀子という名は三島由紀夫が好きな父が付けました。普通なら小説の中の誰か女性の名前を選ぶと思いますが「せっかく三島という名字やし、ゆきこにしとこか」と。母は反対したらしいですが結局は父の意見が通りました。

 父は本当に三島由紀夫を愛していて、小さいころは三島由紀夫展に連れて行かれたり、文章を書道で写させられたり。小説が何となく私の前に置いてあったりもしました。三島由紀夫を好きになってほしいという父の気持ちが強すぎて、反発する思いもありました。修飾語が多い長文と感じて、父に「簡潔に書けた方がいい作家なんじゃない」と言ったこともありました。

 でも、高校生になって読み直すと、素晴らしく美しい文章と感じ、本当に何が美しいのかを追究した人と考えるようになりました。小説も舞台も、映画も見ました。自分が生き方や哲学なども含めた美を意識するようになったのは、三島由紀夫という人の生き方や、この名前、名付けた父のせいなのかなと思います。

 父は大正生まれ。学徒出陣で戦争にも行っています。家の中では絶対的な存在で、父がだめと言ったらそれはだめという家でした。仕事は司法関係で芸術とは全く関係ないのですが、関心があって美術館や有名な建築物を見に行くと、何が素晴らしいかを細かく説明する人でした。

 映画も好きでした。私が映画と出合ったのは四歳のとき父に連れられて行ったのが初めてです。大阪駅のそばに住んでいたので、映画館はすぐ近くにあり、週に一度は行きました。そこで見るパンフレットには、だいたい監督のインタビューが載っていました。この人がこの世界観を作っているのかと分かり、漠然とですが、私もなりたいと思うようになりました。

 高校生から脚本を書き始め、大学ではバイトをしながらお金をためて、自主映画を作っていました。監督を目指して映画会社に入ろうとしていたころ、父に「芸術に従事する覚悟ができているのか。自分でもう一度考えなさい」と言われました。

 芸術の世界にいったん入り込むと麻薬のように抜けられないし、批判の矢面に立って受け止めなければならないということです。父は芸術家になりたかったのではないかと思います。だからこそ、その厳しさを私に伝えたかったんだろうと思います。父は、私が映画監督になる前に亡くなりました。作品を見てもらいたかったです。

 聞き手・寺本康弘/写真・小沢徹

 <みしま・ゆきこ> 1969年大阪市生まれ。92年、NHKに入局し、ドキュメンタリーなどを制作。2003年にフリーに。これまでに「しあわせのパン」や「ぶどうのなみだ」で監督を務めた。8日に公開される「少女」は心に闇を抱える女子高生たちの友情を描いた作品。

 

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