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【暮らし】

<家族のこと話そう>父が勧めた入団テスト 「欽ちゃん球団」監督・片岡安祐美さん

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 野球を始めたのは野球好きな父の影響です。家のテレビで流れていたのは、ほとんどプロ野球か高校野球。自然と私も甲子園に憧れ、九歳のときに「野球をやりたい」と両親にお願いしたんです。

 最初、両親は二人とも「女の子なのに」「そんな甘いもんじゃない」と反対しました。でも、私も言い出すと曲げない性格。放課後、一人で素振りしたり、ランニングしたり。そのうち父がやる気を認めてくれて、「女子でも特別扱いしない」「途中で投げ出さない」「レギュラーをとる」を条件に教えてくれることになりました。

 指導は熱血でしたね。ある日、近所の中学生が投手役で練習を手伝ってくれたのですが、ストライクを二球続けて見逃したんです。すると、父は「相手に失礼だろ!」と、ボールを私の顔面に投げつけました。

 私は鼻血を出して号泣。それを見た母にも「自分でやると言ったんだから泣くな!」と一喝されました。父も本当は顔にぶつけるつもりではなく、反省していたとか。

 欽ちゃん(タレントの萩本欽一さん)が監督をしていた社会人野球のクラブチームに入るときも、両親が後押ししてくれました。中学、高校で野球部だった私は、卒業後も野球ができる関東の大学へ行くつもりでしたが、受験に失敗。どこで野球をやろうか悩んでいたとき、父が「こういう道もあるよ」と茨城ゴールデンゴールズの入団テストを教えてくれたんです。

 ただ、不安はありました。欽ちゃんが目指すのは人を楽しませる野球だろうと思い、私にそんな野球ができるか心配だったんです。

 決め手は母のひと言です。高校時代、規定で試合に出られない私の役目はスタンドでの応援。チームの勝利のためにと懸命に声を出していました。すると、その応援を楽しみに、球場に来てくださる他校の保護者がいたらしいんです。そのことを母に教えられ、「あなたがやりたいことを精いっぱいやれば、それがみんなを楽しませるんだよ」と励まされ、挑戦してみようと決意したんです。

 二つ年下の妹も応援してくれました。テストの前にかけてくれた言葉は、「片岡家の人間は負けちゃいかん」。気が強くて、今もよく叱咤(しった)されます。どっちが姉か分かりません。

 最近、父に「私が生まれたとき、女でも野球やると思っていた?」と聞いたんです。「俺の子ならやると思っていた」と笑っていました。父の思惑通りに野球を続けてきましたが、この年までやるとは思ってなかったみたい。このままずっとユニホームを着続けるつもりです。

 聞き手・寺西雅広/写真・坂本亜由理

<かたおか・あゆみ> 1986年生まれ。熊本市出身。小3で野球を始め、中3のとき女子硬式野球日本代表入り。2005年に萩本欽一さん率いる茨城ゴールデンゴールズに入団し、注目を集める。11年から選手兼任で萩本さんから監督を引き継ぐ。監督4年目の14年に全日本クラブ選手権で優勝した。

 

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